カテゴリー「科目試験」の10件の記事

次の科目試験は頑張ろう

日曜日に科目試験を受けてきた。
土日で5科目登録しておいたのだが、
受けたのは2科目だけだった。

今年から、科目試験の過去問が配布されるようになった。
地元の慶友会に参加して、年会費の名目で過去問を買っていたことを思えば、
大学の英断に拍手を送りたい。
もちろん、慶友会の役員たちは、何の見返りもなく真摯に活動している。
責められるべきは、過去問目当ての幽霊会員だったと思う。

「教育史」はおもしろいほど、「ヤマ」が外れる。
問題を見た瞬間思わず、ズッコケそうになった。
今回の問題は、私塾の特徴を、昌平校や藩校との比較で述べるという内容だった。

今まで受けた試験は、明治以降が範囲だったので、江戸時代はノーマークだった。
確かにテキストは近世日本の教育から始まっている、
別に不思議でも何でもないのだが・・・

いつものように、頭の中の引き出しを総浚えにして、
伊藤仁斎、荻生徂徠、緒方洪庵、吉田松陰、適塾、松下村塾、などを取り出して、
解答した。 帰りの電車の中で、福沢諭吉と慶応義塾を忘れたのに気がつき、
大いに悔やんだが、後の祭りだった。

家庭内のトラブルが表面上収って、勉強する精神的余裕が出来てきた。
根本的な解決にはほど遠いが、
桜島や阿蘇山程度には、我が家は平穏である。

次の科目試験は頑張ろう・・(試験のあとは、いつもそう思う)

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中国文学史

10月の科目試験は、5科目にエントリーしている。
(参加することに意義があるので?「エントリー」と言っている→個人的に)
結婚式やお祭りの予定も、うまくすり抜けて久しぶりに土日受験が出来そうだ。
レポートをせっせと提出して、「権利を獲得」したわけではなくて・・
「サラ金」に借金の返済にいくようで、(不合格科目が溜ってしまって)
なんだかいまいち気勢が上がらないが・・・

試験時間を目一杯(60分)使えば、次の試験まで30分の「待ち時間」ですむ。
トイレにいって、ペットボトルのお茶でも飲んでいればすぐに試験が始まるのだが、
なかなか自分の思惑どおりにはならない。

論述問題の一題が基本だから、「書けることがない」と試験はすぐに「終って」しまう。
試験開始から20分間は退出できないから、他の科目の情報収集をしたり、
落書きをしたりして、ひたすら時間の来るのを待つ。
「ナンダこの問題は!」とか「もっと勉強してくれば良かった」とか
頭の中がクチャクチャになりながら、時計の針を眺めている。
これが異常に長く感じられる―私だけだろうか・・

一限と三限の試験を受けるようなパターンだと2時間の待ち時間が出来てしまう。
自習室があるから「泥縄式」の試験勉強でもすればよいのだが・・実行したことがない。
外に出て本屋をのぞいたり、公園で鳩に餌をやったり?して暇をつぶすのだが、これが結構ツライ。

そんなわけで「待ち時間」を作らないように、科目選択してレポートを出すことにしている。
「真に勉強したい科目を勉強する」・というコンセプトはあるのだが・・待つのが嫌だという物理的要求には勝てない。(意志薄弱)

そんなわけで無理矢理書いた「中国文学史」のレポートだったが、再提出期間(6ヶ月)内に書き直しができずに「お蔵入り」になってしまった。一応努力はした。(つもり)
「待ち時間」を作らないための科目だったから、元々モチベーションは弱かったが・・
新たな課題で再挑戦するかどうか悩んでいる。

以下は「文学史」を書く心構えから諭された?【D】のレポート 
確かに教科書風の概論で「専門科目」にはなっていない。
【D】は妥当な評価だったろうか。
(ワードではルビが付けられるのだが・・ブログでは書式が崩れるので・・こんな風で?)

文学部専門教育科目  中国文学史
序論 
「小説」という言葉は、『荘子』「外物篇」に「飾小説以干県令、其於得大達亦遠矣」(小説を飾りて以て県令に干(もと)むるは、その大達に於けるや亦(ま)た遠し)とあるのが初出とされる。  
これは現在の読む「小説」とは異なり、幽霊や妖怪などの物語を「語る」ものであった。
語られる小説は、宋代に白話小説として最盛期を迎えた。やがて明清の時代になると社会や経済の発展により読書階級が成立し、小説は、「読まれるもの」となった。
王朝の成立を基準とした時代区分を、文学史に適用することは適切ではない。王朝の交代によって、文学的傾向が、急激に変るものではないからである。しかし文学的傾向は、「時代」と連動してもいる。このレポートは、中国文学史を「語られるもの」から「読まれるもの」への成長として、時代区分に沿って論述する。
一 六朝(りくちょう)までの小説
六朝時代は幾多の王朝が乱立し、興亡を繰り返した。儒教の倫理は衰退し、戦乱の絶えない時代であった。また外来の宗教である、仏教が中国社会に普及した。「秦漢以来の神仙談流行のあとをうけて、後漢の末には仏教が西域を経由して流れ込み、中国人の精神生活に新しい場面を作り上げた」。(『中国文学史』四八頁)民族宗教である道教も、この時代に成立した。道教には不老長生を願う神仙術や老荘思想・易・呪術・占卜など様々な要素が結びついていた。六朝時代の小説は、このような仏教や道教の影響をうけた。
妖怪や幽霊が活躍するこれらの小説は、「志(し)怪(かい)小説」と呼ばれ、一つのジャンルとして確立した。 
「志怪小説」は二つの系統に分けられる。一つは文人によって作られた作品で、干(かん)寶(ぽう)の『搜(そう)神記(じんき)』劉敬叔(りゅうけいしゅく)の『異苑(いえん)』東洋无疑(とうようむぎ)の『齋諧記(せいかいき)』呉(ご)均(きん)の『續搜(そう)神記(じんき)』などがある。もう一方は、清談をもとにした、警句集などである。中国の魏から晋の時代には、老荘思想に基づき、俗世から超越した談論を行う清談が流行した。「別に士大夫階級に流行した<清談>から道仏思想を内容とした警句集・逸話集・笑話集などをうみだした」。(『中国文学史』四九頁)。このような作品に劉義慶(りゅうぎけい)の『世説(せせつ)新語(しんご)』がある。
六朝時代の小説は、筆写されるとともに、口誦伝承されていった。「伝承の過程で、記録によるいわゆる<文献伝承>と、口伝えによる<口誦伝承>は、小説の成立とその発展を考える場合、見逃してはならない、伝承の二様式である」。(『中国文化叢書』一〇三頁)
二 唐の小説
唐代の小説は二つに分類される。一つは六朝時代の伝統を引き継いだ「志怪」であり、もう一つは唐代に新しく興った「伝奇」である。中国文学史において、「志怪」と「伝奇」は並立的に存在し、より低次元の「志怪」から「伝奇」へと発展したわけではない。「志怪」と「伝奇」をジャンルとして明確に区別することは出来ないが、民俗伝承や宗教譚を記録した作品を「志怪」と呼び、明確なモチーフによって、人間の行為をテーマとして取り扱っている作品が「伝奇」だと考えられる。(『中国文化叢書』一七六頁参照)
唐代の伝奇小説は、六朝の志怪小説の流れを受ける形で成立した、新しい様式の小説であり、明確な創作意図に基づいた「ノベル」、或いは「フィクション」と呼ぶことができる。  
魯迅(ろじん)は『中国小説史略』の中で、小説は詩と同様に唐代で一変し、怪異を求める風潮は存在したが、文学性は格段に洗練されたと説いている。
この唐代の伝奇小説は、主題及び登場時期の違いによって、三つに分類できる。それは、最も早く登場し、鬼神などの奇怪な出来事を記した「怪異小説」、男女の恋愛を描き、中唐を代表する存在である「恋愛小説」、そして晩唐に全盛を迎えた、武勇伝である。(『中国文学史』一二九頁参照)。具体的な作品としては、王度(おうど)の『古鏡記(こきょうき)』沈既濟(ちんきせい)の『枕中記(とうちゅうき)』陳(ちん)玄(げん)祐(ゆう)の『離婚記(りこんき)』李(り)公(こう)佐(さ)の『南柯太守傅(なんかたいしゅでん)』(しょう)防(ぼう)の『霍小玉傅(かくしょうぎょくでん)』などがある。晩唐の武勇伝は娯楽性を追求し、怪異神仙と豪傑が結合し、後の『三国志演義』や『水滸伝』へとつながった。
三 宋代の小説
儒教は漢の滅亡後、形式化し停滞した。しかし北宋時代には、女真族の侵略に対する民族意識の高まりや仏教哲学へ反発から、新しい思想が求められ、宋学という形で活性化した。「志怪」「伝奇」趣味の小説はなお存在したが、宋代の小説は、宋学の影響をうけて、虚構を否定するという方向へ傾斜した。楽思(がくし)の『楊(よう)太(たい)真(しん)外伝(がいでん)』なども、本来、浪漫的な題材を、事実に忠実であろうとするあまり、魅力の薄い作品となっている。(『中国文化叢書学史』二三一頁参照)
宋文化の大きな特色は、従来の貴族文化に変わって庶民文化が栄えたことである。
それは、都市を中心として栄えた「都市文化」でもあった。都市では商業が発達し、庶民のための、「瓦舎(がしゃ)」と呼ばれる娯楽場も数多く作られた。そこでは「説話」と呼ばれる、日本の講談に類する演芸が盛んであった。『京本(けいほん)通俗(つうぞく)小説(しょうせつ)』のなかには、説話のテキストとなった小説が数多く残っている。また太宗の勅命により、李昉(りぼう)らが『太平(たいへい)広記(こうき)』を編纂した。漢から北宋初期までの約七千篇の小説類を収録している。中国では小説に価値を認めなかったので、六朝・唐・宋の作品で、満足に内容を伝えている物は一つもない。そのため『太平広記』の持つ意味は大きい。
 唐代の読み物としての、伝奇小説は宋代には衰退した。説話などの、演芸として語られる物語は発達したが、それが読まれる小説として完成されたのは、元代以降のことである。
四 元から明清代の小説
宋代の都市の盛り場から発生した白話小説は、「話本」「平語」によって読み物となり、元代を経て明代には、内容・文体とも洗練されて、上質な文学作品として完成した。(『中国文学を学ぶ人のために』二四二頁参照)
唐代の伝奇、宋代の話本(日本の講談のようなもの)の伝統を継承し、創作の題材は、歴史、怪異、英雄、世情など、すべての範囲におよんだ。四大奇書と呼ばれる作品も、基本的にはこのような「語られた作品」が集積され、改良されて、一つの物語として成長していったものである。語られる小説が「平話」と呼ばれるのに対して、最初から読まれることを前提に書かれた小説を「章回小説」と呼ぶ。四大奇書における「平話」と「章回小説」は次ぎのように対応している。『大宋宣和遺事(だいそうせんわいじ)』→『水滸伝(すいこでん)』『全相(ぜんそう)三国志(さんごくし)平話(へいわ)』→『三国志演義(さんごくしえんぎ)』『大唐(だいとう)三蔵(さんぞう)取(しゅきょう)経(きょう)詩話(しわ)』→『西遊記(さいゆうき)』
明の中期に出来た『水滸伝』は、施耐(したい)庵(あん)あるいは羅(ら)貫中(かんちゅう)が、それまで講談として行われてきた物語を集大成して創作した。口語体の文章で書かれているが、韻文も多く含み、「語られる」文学としての痕跡が見られる。『水滸伝(すいこでん)』や『西遊記(さいゆうき)』が宋代の平話を基に作られたのに対して、『金瓶梅(きんぺいばい)』は個人の作者による、純粋に文学的な作品だと考える事が出来る。個人的な動機と営為によって創作された小説は、清代に、より深化され『紅楼夢(こうろうむ)』として結実した。
清代には、宋・明以来の大衆を読者とする「通俗小説」と、作者の内的要求によって書かれた、「純文学」的作品とが併存した。『紅楼夢(こうろうむ)』や『儒(じゅ)林(りん)外史(がいし)』など傑作と称される作品が作られたが、中国人の小説観が変ることはなかった。「このような小説の盛況と地位の向上にもかかわらず、小説は依然として旧来の<小説>であり、まっとうな文学とはついに見なされなかった」。(『中国文学を学ぶ人のために』二四七頁)
『紅楼夢(こうろうむ)』は、曹(そう)雪(せつ)芹(きん)の作品で、乾(けん)隆(りゅう)帝(てい)時代に書かれた。貴族の家に生まれた賈(か)宝玉(ほうぎょく)と彼を取りまく多くの佳人との恋愛を、栄華を極め・没落をたどる貴族の豪華な家庭生活を背景に描いた。「通俗小説である以上、読者に対する配慮はなされているけれども、要するに彼は、彼自身のために『紅楼夢』を書いたのである」。(『中国文化叢書学史』三三六頁参照)呉(ご)敬(けい)梓(し)は『儒(じゅ)林(りん)外史(がいし)』を書き、当時の官界の腐敗を知識人の立場から暴露した。『聊(りょう)斎(さい)志(し)異(い)』(一七六六)は、蒲(ほ)松(しょう)齢(れい)の作品で、四三一編の文語短編小説集で、民間説話に取材した雑記・奇聞・伝奇小説から成る作品である。これらの作品はいずれも、作者の内面的動機によって書かれている。
清末の国際情勢による、西欧文化・西欧近代小説の流入は、中国文学史における小説観の変革をもたらした。
辛亥革命(一九一一)の前年、胡適(こてき)や陳獨(ちんどく)秀(しゅう)らは「文学革命」をスローガンに、白話による国民文学の建設を主張した。「文学革命」理論は魯迅(ろじん)の作品によって結実した。魯迅は『狂人(きょうじん)日記(にっき)』『阿(あ)Q正伝(しょうでん)』などを通じて、儒教による旧道徳が、いかに非人間的なものであるかを暴露した。
参考文献
 興膳 宏 『中国文学を学ぶ人のために』 世界思想社 一九九二年
 倉石武四郎 『中国文学史』 中央公論社  昭和三五年
 鈴木修次他編 『中国文化叢書 五 文学史』 大修館書店 昭和四三年「

 

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成績通知書が届いた。

今朝新聞を取りに行って郵便受けをのぞいたら、科目試験の成績通知書が届いていた。結果は予想通り近代日本文学がAで、教育学と西洋紙特殊Ⅲ(中世イングランド史)はDだった。

教育学は論外としても、西洋史特殊Ⅲは“ひょっとしたら” という淡い期待を持っていた。「持ち込み可」の科目なのに、テキストや資料を忘れて、「空身」で試験を受けたのだから、文句は言えないが・・ 「持ち込み可」だから、採点基準は高いと覚悟はしていたが・・案外書けたのになぁ~と未練がましくこだわっている。

スクーリングの4単位(すでに合格したつもりでいるm(_ _)m)を合わせて84単位。残りがちょうど40単位になった。
「千里の道も一歩から」始めたが、「百里の道は九十九里を持って道半ばとす」で「日暮れて道遠し」気持ちは「百尺竿頭一歩を進む」なのだが「臥薪嘗胆」の日々がこれからも続く。(なんのことやら)

エクセルで簡単な表を作り、取得単位や成績を記録している。レポートが合格した科目、科目試験が合格した科目、両方合格して単位がget出来た科目で色分けしている。ついでに成績表もつけているのだが、こちらの方は、恐ろしくてなかなか見られない。

通学生なら「就職の斡旋拒否」されるか、担当教授に罵倒されそうな成績である。そもそも科目試験の成績が「単位」の成績だというのが納得できない。科目試験よりレポートの方が数倍は難しいと思うのだが・・

以前お世話になっていた?ニフ慶で、「科目試験での、初回C合格は2回目以降のAより評価が高い」という話があったが、本当だとすれば、大いに自慢できる成績なのだが? それにしても、レポートのDは死ぬほど辛いが(本当のところ)科目試験のDは「据え膳食わぬは男の恥」(違う違う!)「我関せず」なのは思い入れの違いだろうか。

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科目試験の反省

いつものことだが、科目試験が終わると少し落ち込む。

今回の試験も、嘘八百の「学説」を濫造し、根拠のない「理論」で、強引に「結論」を作り上げた。解答直後は心理的にハイになっているので、悪くても「B」は確定だな・・などと思っているが、自宅に帰って調べてみると、とたんに穴の開いた風船のように、「希望」がいっきに萎んでしまう。毎回こんな事の繰り返しながら、90単位に迫ってきたのは、「奇跡」だろうか。

良くも悪くも「結果」に裏切られるのが「科目試験」なので、自己判断して、勉強のし直しなどはしないように。結果がでてからでも遅くない、くれぐれも「早まらない」ように。

英語Ⅲの2単位を取れば卒論が書けるのだが、急ぐ必要のない身としては、グスグスと先延ばしにしている。仕事の都合で英語の科目試験が、3回受けられなかった。そんなこともあって英語は完全にダラケテしまった。

何年か前の「哲学」の参考文献に、中島義道の、『「時間」を哲学する』があった。レポートは結局モノにならなかったが、中島義道のファンになって、何冊か読んだ。『働くことがイヤな人のための本』は、そんな中の一冊である。

「人生とは「理不尽」のひとことに尽きること。思い通りにならないのがあたりまえであること。いかに粉骨砕身の努力をしても報われないことがあること。いかにノンベンだらり暮らしていても、頭上の棚からボタモチが落ちてくることがあること。いかに品行方正な人生を送っていても、罪を被ることがあり、いかに悪辣な人生を送っていても称賛され賛美されることがあること。」p.35

「世の中とはまことに不合理なことに、成功者のみが発言する機会を与えられている。成功者の発言は成功物語である。」p.50 こんな事がいっぱい書いてある。 

「粉骨砕身」、身を削るよにして書いたレポートがDのこともあるし、いいかげんに書いた答案がAのこともある。自分の「努力」が「成果」に結びつくとは限らない・・よく分かっているつもりなのだが・趣味の勉強はともかく?仕事や人生で「それ」を認めることは少し辛い。

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科目試験の勉強 近代日本文学

近代文学は明治三十九年を境として二分できる。何故か?→1)近代意識が芽生えたこと 2)個性化したこと。
歴史的概念としての近代→19世紀後半以降を指す。

【擬古典主義文学】

○ 国粋主義を背景に江戸文学を模範としつつ,素材を写実的に扱う古典回帰傾向の文学。
○ 尾崎紅葉『多情多恨』『金色夜叉』
○ 幸田露伴『五重塔』
江戸文学の特質である、滑稽とか洒落とか人情とか勧善懲悪とかの伝統を受け継いだ、後世にいわゆる「擬古典主義」文学を展開していた。
■我楽多文庫   文芸同人雑誌。1885年(明治18)5月創刊、89年10月廃刊。 尾崎紅葉、山田美妙
、石橋思案、巌谷小波、川上眉山、江見水蔭、広津柳浪
ら、 硯友社の機関誌。初め紅葉、美妙による筆写回覧雑誌で、内容も戯文、狂歌、都々逸などをも含む遊戯的な色調が濃厚であったが、文学改良の時代風潮に応じ、近代的な写実文学の創造に向かった。同人が増加して86年11月活版の非売本形式に変わり、さらに88年5月から公売となり返り初号を出した。翌年3月の同第17号から『文庫』と改題、吉岡書籍店より発売されたが、第27号で廃刊。美妙の脱退(1888)後は紅葉が中心で、硯友社員を相次いで文壇に登場させたほか、幸田露伴や淡島寒月の短編なども掲載した。本誌では美妙の言文一致体、紅葉の雅俗折衷体など、小説文体の模索がとくに注目される。

■女学雑誌 女性啓蒙雑誌。1885年(明治18)7月~1904年(明治37)2月。計548冊。10号まで万春堂、以後女学雑誌社発行。 巌本善治を中心に『女学新誌』から分かれて創刊された。編集人は近藤賢三から善治を経て青柳猛。発行回数は初め月2回、ついで3回、さらに週刊、隔週刊、月刊へ。女性の啓蒙・向上を目ざし、キリスト教を基盤とする婦人矯風会設立や廃娼運動、一夫一婦制建白運動など、わが国初期婦人解放運動に重要な役割を果たした。 石橋忍月北村透谷らを評壇に送ったほか、若松賤子の『小公子』翻訳も注目される。ほかに木村熊二 中島湘煙 田辺花圃、清水紫琴、磯貝雲峰、星野天知、島崎藤村執筆した。1892年、対象読者層によって甲の巻と乙の巻に分けられ、甲の巻はのち『評論』と改題。派生誌『女学生』『女学雑誌文学界』などが出された。

■文学界  文芸雑誌。(1)1893年(明治26)1月~98年1月、全58冊。発行所は4号まで女学雑誌社、以後文学界雑誌社。おもな同人は星野天知、平田禿木、島崎藤村、北村透谷、戸川秋骨、馬場孤蝶、上田敏など。キリスト教的改良主義にたつ『女学雑誌』の若い寄稿家を中心に発刊され、やがて女学雑誌社から独立するとともに啓蒙主義的立場から脱し、主我的で反俗的な浪漫主義の傾向を強めていった。後期浪漫主義を代表する『明星』に対して前期浪漫主義の拠点となった。初期は透谷の形而上的な評論、中期は客員格であった樋口一葉の小説や、敏、禿木らの芸術至上主義的評論、後期は藤村の叙情詩によって代表される。

早稲田文学  文芸雑誌。■第一次■1891~98年(明治24~31)。坪内逍遙主宰。当初、東京専門学校文学科の講議録的内容。やがて「記実主義」の方針を打ち出し、「彙報欄に特色をみせる。逍遙の森鴎外との間の「没理想論争」の拠点でもあった。■第二次■1906~27年(明治39~昭和2)。島村抱月、本間久雄主宰。抱月、相馬御風らの自然主義文学論、正宗白鳥、田山花袋らの小説を掲載して自然主義の基地の観があり、海外の新文学の紹介などにも力を入れたが、漸次文壇の主流の立場を失う。

■硯友社 1885年(明治18)2月、当時まだ大学予備門の生徒だった尾崎紅葉、山田美妙、石橋思案らが創立した文学結社。「硯」は文筆にちなんだもの。最初は彼らのほか高等商業在学中の丸岡九華らを加えた広義の文学愛好グループにすぎず、同年5月機関誌『我楽多文庫』を創刊したが、紅葉と美妙とが手分けして筆写回覧する小雑誌で、内容も小説、新体詩などのほか、狂句、都々逸、落語、謎などまで掲載するような趣味的なものだった。しかし、しだいに同人が増え、86年11月から活版非売、さらに88年5月から公売となった。このころから同人は新文学の樹立を志し、結束を固めて文壇に打って出た。当時の同人には、前記紅葉らのほか、巌谷小波、川上眉山、広津柳浪、江見水蔭、大橋乙羽らがあり、美妙はこの年離脱した。89年から「新著百種」の刊行が始まり、紅葉をはじめ各同人が執筆、文壇にその地歩を固めた。

■自然主義
二葉亭の『浮雲』(1887~88)はわが国最初の本格的写実小説となった。しかしやがて、比較的正当に移入された初期の写実主義理論は、フランスから入ってきた自然主義の新たな流れに合体し、田山花袋の『蒲団』 (1907)以後、普遍的真実を描くべき没個性の文学が、作者の個をもっぱら描く対象とする(すなわちリアルなものとは外の現実ではなく、内面の「自我」である)私小説へと変貌し、日本独特の自然主義を形成するに至った

■観念小説  作家が時代社会、世相などから触発された観念をその作品中で明白に打ち出している小説。ただし、日本近代文学史上では、おもに日清戦争後の1895年(明治28)ごろ流行した一群の小説をさす。すなわち、1895年の泉鏡花『夜行巡査』『外科室』、川上眉山『書記官』『うらおもて』や、翌96年の鏡花『海城発電』『化銀杏』などの作品に対する呼称である。これらは主として、 当時矛盾を露呈し始めた明治資本主義社会の現実に着目した作家がその問題点を指摘し、読者に強く訴えようと意図したものであった。深刻小説とともに写実主義の深化を目ざしたともいえる。ただ、あまりにも観念が先行したために、空疎な印象は否めず、やがて衰退した。

■言文一致  明治初期の改良運動の一つで、国語・国字改良と類縁をなしている。改良運動とは、日本を急速に西欧近代に接近させるため、日本のさまざまな分野の制度を西欧風に改良していこうとする運動だが、その根幹となったのが言文一致を中心とすることばの組み替えの試みであった。具体的には国民の啓蒙(けいもう)を目的としていたが、結果的には日本人のそれまでの思考の変革を促す一種の精神革命として機能していった。このことばの改良運動は、最初は前島密(ひそか)の「漢字御廃止之議」建白(1866)に始まる漢字廃止論や、西周、外山正一、矢田部良吉、田口卯吉らのローマ字論あるいは清水卯三郎らの平仮名論などの国語・国字改良論が先行していたが、しだいに言文一致論へと改良の比重が移行していった。言文一致とは、それまで分離していた言(話しことば)と文(書きことば)とを一致させようとする試みだが、具体的には話しことばすなわち口語体で文章を表していこうとする運動として展開していった。

【深刻小説】日清戦争後、広津柳浪を中心に流行した、社会の悲惨で異常なできごとを題材にした小説。柳浪の「変目伝」「黒蜥蜴」など。悲惨小説。

【山田美妙】小説家、新体詩人、国語学者。東京出身。本名武太郎。尾崎紅葉らと硯友社を起こして「我楽多文庫」を発行。小説「武蔵野」「蝴蝶」などにより、言文一致体の先駆者と目された。東京アクセント・ガ行鼻音を注記した「日本大辞書」を編纂。著「夏木立」「日本韻文論」

明治初期において、キリスト教や市民社会の伝統を持たない日本に、近代文学を移植することは一見困難な作業のように思われた。しかし西鶴や近松をはじめとする町人文学や、武士階級の漢学の素養は意外にも、西欧文学を受け入れる土台となった。 人間の自我を主題とする西欧近代文学と「もののあわれ」を中心とする日本人の文学観・自然感とは隔絶し、その間を埋めることは困難なことのように思われた。しかし近代作家は西欧の文学技法を模倣することによって内面を語る文体を確立し、「古典」を題材とすることで「近代文学」を成長させていった。

1)芥川龍之介が登場するまで 

日本の近代化は西欧列強のアジア進出という歴史的条件を契機としている。その結果としての明治維新は、政治の世界を大きく変えることになった。しかし庶民の生活様式が大きく変化しなかったように、小説や詩歌の世界では、古典の世界は長く生き残った。

江戸時代の川柳集『誹風柳多留』には『源氏物語』や『平家物語』などの知識や、古典の故事来歴を知らなければ理解できない句がいくつも存在する。川柳の愛好者はおもに庶民階級であった。寺子屋を中心とする庶民教育は高い識字率を達成し、庶民を「読者層」へと成長させていった。この庶民によって「江戸」の文学は支持された。

「時代」とは歴史という連続する時間軸を任意に区切った便宜的な概念であり、時代区分としての、江戸後期と明治初期は大きく重なりあっている。明治初期に活躍した仮名垣魯文らの作品は「江戸」の戯作文学の延長と考えなくてはならない。戯作文学をはじめ日本古典文学の伝統は、大きな影響力を持って明治期の文学を拘束した。「四迷、鴎外などの文学を後から引っ張っていたもの、彼らが懇親のしからを込めて戦っていたものは、春水を今なおベスト・セラーにする江戸文学の巨大な伝統、つまり西洋近代文学とはまったっく異質な、日本の文学伝統全体だったのです。」(奥野健男『日本文学史』、 7頁) このように明治初期の文学は古典の「頸城」を脱するための戦いであった。そして古典の伝統と対決するための武器・ 道具が西洋文学であった。

このように日本の近代文学は西欧文学を模倣することによって発展した。しかし作品自体は西欧文学のコピーとはならなかった。西欧とは異なる日本人の感性が(自然観や人間観)否応なしに作品に反映されざるを得なかったからである。 

日本の近代文学は大正期に黄金期を迎えた。日清・日露戦争の勝利・連合国の一員としての第一次大戦といった外的条件により対外的地位や国力が上昇したことは、国民生活にも安定と余裕を与えた。また政治的にも「大正デモクラシー」と呼ばれる相対的に自由な雰囲気が存在した。このような時代的雰囲気の中で「自然主義」は徐々に衰退し、武者小路実篤や有島武郎らの「白樺派」や佐藤春夫や永井荷風らの「耽美派」などが台頭してきた。

芥川龍之介は久米正雄や松岡謙ら、「新思潮」の同人達とともに「理智派」「新技巧派」などといわれたが、共通の文学的主張や理念はなく、東大出身であり夏目漱石を師と仰いだということのほかに共通点はなかった。

2)芥川龍之介と今昔物語

「古典文学」を自己の作品に取り入れる場合二つの立場が存在する。

一つは古典自体にあらたな光を当て、新しい解釈を試みようとする立場であり、もう一つは人物や状況を古典の世界に事寄せて、自らの文学を構築しようとする立場である。第一の立場は古典自体の現代的解釈である。第二の立場は作家が抱える内的・外的状況を古典に仮託して「現代」を語るものである。この場合、古典は文学表現のための借景であり、古典自体は、作家の創造力によってどのようにも解釈される。

今昔物語は芥川龍之介によって新たに評価され現代的意味を与えられたとされる。

作品と今昔物語との関係を創作順に並べると以下のようになる。

「羅生門」大正四年十一月一日『帝国文学』 巻二十九「羅城門の上層に登りて死人をみる盗人の語第十八」 巻三十一「太刀帯の陣に魚を売る嫗の語第三十一」

「鼻」  大正四年二月第四次『新思潮』 巻二十八「池尾の禅珍内供の鼻の語第二十」

「芋粥」 大正五年九月一日『新小説』 巻二十六「利仁の将軍若き時京従り敦賀に五位を将て行く語第十七」

「運」  大正六年一月一日『新潮』 巻十六「貧しき女清水の観音に任りて助けをえる語第三十三」

「偸盗」 大正六年四月一日『中央公論』 巻二十九「人に知られぬ女盗人の語第三」巻二十九「筑後の前司源忠理の家に入る盗人の語第十二」

「往生絵巻」 大正十年四月一日『国粋』 巻十九「讃岐の国の多度の郡の五位法を聞きて即ち出づる語第十四」

「好色」  大正十年十月一日『改造』巻三十「平定文の侍従を仮借する語第一」

「藪の中」 大正十一年一月一日『新潮』 巻二十九「妻を具して丹波の国に行く男大江山に於いて縛らるる語第二十三」

「六の宮の姫宮」大正十一年八月一日『表現』巻十九「六宮姫君の夫出家する語第五」巻十五「悪業を造る人最後に念仏を唱えて往生する語第四十七」

(鷺只雄編 年表作家読本『芥川龍之介』『芥川龍之介全集』角川書店『日本古典文学全集』小学館参照)

以上のように芥川龍之介は今昔物語から多くの題材を得ている。彼自身の言葉によれば、古典を題材として選ぶのはテエマを芸術的に最も力強く表現するためである。「今僕があるテエマを捉えてそれを小説に書くとする。そうしてそのテエマを芸術的に最も力強く表現するためには、ある事件が必用になるとする。その場合、その異常な事件なるものは、異常なだけそれだけ、今日この日本に起こったこととしては書きこなし悪い、もし強いて書けば、多くの場合不自然の感を読者に起こさせて、その結果折角のテエマまでも犬死にさせることになってしまう。」(『澄江堂雑記』本文表記は『芥川龍之介全集』による)

『今昔物語集』の中でも、芥川龍之介が最も興味を持ったのは本朝の部の「世俗」と「悪行」の部であることが、「今昔物語に就いて」に記されている。 【「今昔物語」三十一巻は天竺、震胆、本朝の三部に分かれている。本朝の部の最もおもしろいことは、おそらくは誰も異存はあるまい。そのまた本朝の部にして最も僕などに興味のあるのは「世俗」ならびに「悪行」の部である。】(本文表記は『芥川龍之介全集』による)また次のように今昔物語を評価している。【僕はやっと「今昔物語」の本来の面目を発見した。「今昔物語」の芸術的生命は生々しさだけには終わっていない。それは紅毛人の言葉を借りれば、brutality (野性)の美しさである。あるいは優美とか華奢とかには最も縁の遠い美しさである。】古典に影響を受けた作家として谷崎潤一郎や室生犀星らがいる。彼らは王朝の華やかな美を追い求めたが、芥川龍之介は今昔物語の 「優美とか華美とかには最も縁の遠い美しさ」というところに惹かれていた。しかしこのような今昔物語を題材としながらも、芥川龍之介は題材との間に一定の距離を置き自らの作品に「野性の美しさ」を表現することはなかった。吉田精一の指摘によれば、芥川龍之介が古典の中に発見したのは「多くは憂鬱なる人生であり、救いのない人間の利己的精神であった(吉田精一 『現代文学と古典』 p.114)

3)小説 「藪の中」について

 芥川龍之介の小説「藪の中」は、『今昔物語集』に題材を採ったものである

「藪の中」は『今昔物語集』第二十九巻第二十三話の「妻を具して丹波の国に行く男大江山に於いて縛らるる語」を中心に構成されている。二十九巻には盗賊談が収められており題材となった話は、小説「藪の中」に比べて単純な物語である。登場人物は「男」「妻」「今ノ男」というように名前を持たない抽象的存在である。小説「藪の中」では登場人物たちの複雑な心理的葛藤が描かれ、物語の構成も入り組んでいる。『今昔物語集』の話では、女が犯されただけで殺人事件は起こっていない。今昔物語では夫の目の前で他の男に犯された妻と、それを見せ付けられた夫は、その後も丹後へ旅行を続ける。

芥川龍之介によって再構成された「藪の中」の登場人物は、近代的苦悩を持ち合わせた人間として描かれている。検非違使の取調べに答える木樵、旅法師、放免、真砂の母である媼の四人が事件の概要を語り、客観的な事実を明らかにする。次いで、事件の当事者であり主人公である多襄丸、真砂、巫女の口を借りた死霊となった金沢武弘が、それぞれの立場から事件の概要と己の内面を告白していく。技巧的な手法と、劇的な展開で読者を物語の世界に引き込んでいく。このような探偵小説的技法についてはポーやブラウニングとの関係が指摘されている。ひとつの事件を関係者や当事者の立場ごとに異なる解釈とモノローグによって劇的に構成する手法は、『指輪と本』からヒントを得たものであると吉田精一は指摘している。(『現代文学と古典』参照)。『指輪と本』心理小説の内容を持っている。ブラウニング(1812― 1889) はテニスンと並び英国ヴィクトリア朝の詩壇を代表する詩人であり〈劇的独白〉 と呼ばれる独自の表現形式で人間心理の機微を表現したとされる。芥川龍之介はこの「劇的独白」の手法および『指輪と本』 の形式を援用し、人生の機微、人間心理の微妙な陰影を表現しようとした。

芥川龍之介という日本の近代文学者は、『今昔物語集』といった古典を主たる素材として、ブラウニング、ビアスといった外国文学を参照しながら、自己の創作を行ったことになる。明治以降、日本は近代化の過程において、江戸期以前に摂取してきた中国文化、国内で育み熟成させてきた日本文化の基礎の上に、西欧諸外国の技術を導入してきたのである。「和魂洋才」の謳い文句ではないが、文化の総体である文学もまた、従来の日本文学を土台に西欧の手法や形式を取り入れ、近代文学が構築されてきたのである。森鴎外、夏目漱石といった芥川龍之介の一世代前の作家たちも、芥川龍之介自身も、漢学の素養や漢詩文・日本古典文学の教養の上に、近代西欧文学を積み重ねて自らの作品世界を構築してきた人々である。「藪の中」における芥川龍之介の創作態度、手法には、それが色濃く表れている。

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 イギリス中世史  西洋史特殊Ⅲ 科目試験対策

 西洋史特殊Ⅲ 科目試験のまとめ

■ウィリアム(1世) ノルマンディー公ロベール1世の庶子。父の死後ノルマンディー公となったが、貴族らの反乱に苦しみ、 1047年バル・エイ・デューンの戦いに苦戦、 フランドルの協力を得て57年バラビーユの戦いでフランス王アンリ1世を撃破して、ノルマンディー公領の統轄に成功した。 51年と64年には後継子のないエドワード懺悔王からイングランド王位後継の約束を得ていたが、 66年懺悔王の死後ハロルド2世が王位についたのに反対してイングランドに上陸、 ノルマン騎兵軍をもってヘイステイングスの戦いでハロルド2世を敗死させ、同年末ロンドン入城を果たして王位につき、 ノルマン朝を開いた。その後、各地の反乱の鎮定に多忙であったが、 カンタベリー大司教ランフランクの内助を得てイングランド教会の統一、ローマ教会との関係の修復にも成功した。彼は、 ノルマン貴族を各地に封じて大陸的な軍事的封建制度を導入するとともに、 10868月ソールズベリーで貴族らから忠誠誓約Oath of Salisburyをとったように集権的な統治を行い、 全国的検地を施行してドゥームズデー・ ブックという土地台帳を86年末に編纂させた。

■ウィリアム(2世) ウィリアム1世の第3子。父の寵愛を受けてその死後イングランド王となる。 兄のノルマンディー公ロベールバイユー司教オドらの反乱を切り抜け、ラナルフ・ フランバードを起用して厳格な統治を展開し、聖職者叙任権をめぐってカンタベリー大司教アンセルムとも対立した。 ロベールの十字軍出征中ノルマンディー公領をゆだねられたが、狩猟中暗殺された。

■ヘンリー(1世) ノルマン朝を開いたウィリアム1世の四男。次兄ウィリアム2世の死後に即位。その戴冠式に善政を誓う「諸特権の証書」 を発布した。十字軍より帰った長兄ロバート公と争い、1106年タンシブレーで兄を破ってノルマンディー公領を併合した。 フランスの攻勢に備えて娘マティルダを神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世に嫁がせた。財務府を中心に中央政府を整え、 四部法典を編纂させ巡回裁判官を派遣して裁判行政を強化した。「戴冠の証書」  『ヘンリー一世の法』『エドワード証聖王の法』

■ヘンリー(2世) プランタジネット朝の始祖。 フランスのアンジュー伯ジェフリーとヘンリー1世の娘マティルダとの子。1150年母からノルマンディー公領を、翌年父の死後アンジュー伯領を継ぎ、 52年フランス王妃エリナーと結婚してアキテーヌ公領を加え、 さらにウィンチェスター条約によってスティーブン王の死後イギリス王となり、イギリスとフランス西半分をあわせる広大な領土、 いわゆる「アンジュー帝国」 を支配した。各地の行政裁判制度を整え、イギリスでは64年にクラレンドン法を出して教会裁判権を規制し、 それに反対するカンタベリー大司教トマス・ベケットを殺害させた。また陪審員制を採用して大巡察制を発展させ、 裁判行政の統一を図った。アンジュー帝国は均一な統合体としての国家ではなく、雑多な要素の集合体であった。

■エドワード(1世) プランタジネット朝のイギリス王ヘンリー3世の長男。皇太子時代ガスコーニュとアイルランドを経営。 シモン・ド・ モンフォールの乱に初め反対していたが、のちそれを支持した。しかし、 シモンらの寡頭制を批判するに至り、1265年、父ヘンリー3世を助けてシモンをイーブシャムに破り、 父王にかわって67マールバラ法を出して内乱を収拾した。 70年十字軍遠征に出て、父王の死(1272)後74年に帰国。7475年の調査をもとに一連の制定法を出して「イギリスのユスティニアヌス」 の異名をとり、封建王政を発展させた。議会制を尊重し95年には模範議会を招集したが、 晩年は独裁化した。

■ジョン(王)プランタジネット朝第三代のイギリス王。 ヘンリー2世の末子。兄リチャード1世の十字軍出征中王位をうかがったが失敗。その死後に即位。 フランス王フィリップ2世の破門事件に乗じて大陸領領有を認められたが、 ポアトゥー貴族らと係争してフランス王廷に召喚されたが出廷せず、フィリップ2世がかばっていた自分の甥を殺害してフィリップの怒りを買い、 1204年大陸領の大部分を失った。 さらに教皇インノケンティウス3世の推すスティーブン・ ラングトンのカンタベリー大司教就任を抑えて09年に破門された。13年に教皇と和解。15年に内外の失政を批判する貴族から「マグナ・カルタ」 の署名を強いられた。しかしその実施をめぐり、教皇の支持を受けてふたたび貴族と対立、 その内戦中に病没した。

  ヘンリー(3世) 父王ジョンの死により9歳で即位したので、摂政評議会が設置され、 有力諸侯が統治の実権を握った。王の親政は1234年に始まるが、 母方と王妃の縁でフランス人の側近を寵愛したので貴族との衝突が絶えなかった。58年、 王は末子エドマンドのためにシチリア王位を確保する目的で教皇インノケンティウス4と協約を結んだ。しかし、これには貴族の支持がなく、同年、 教皇アレクサンデル4世に約束の履行を迫られて窮地に立った王は、 諸侯の援助と引き替えに大幅な国政改革案を含む「オックスフォード条項」 を締結した。この結果王権は大幅な制限を受けたが、この条項の実施をめぐり諸侯の間に分裂が生じたとき、 反国王派の急進的指導者シモン・ド・モンフォールは反乱を起こし、64年「諸侯戦争」Barons' War(~65)が勃発した。王の治世の後半は行政上の改革が相次ぎ、 また議会に代議制が導入されるなど、国制史の面で重要な時期にあたる。

  オックスフォード条項  イングランド王ヘンリー3世が、1258年国政の改革を要求する諸侯に強要され、同意した協約。これにより、 王権は常置の15人委員会に委任され、 王の名において貴族が国を統治することになった。貴族が連帯して王権を制限し、 行政に介入したのはこれが最初である。しかし、王は、ローマ教皇の支持を背景に、1264年フランス王ルイ9世の好意的な裁定によってこの協約から免れようとしたので、 貴族との間に武力衝突が起こった。この「諸侯(バロン)戦争」Baron's Warで国王軍を破った貴族側の指導者シモン・ド・ モンフォールは、この条項を王に再確認させて一時的に国政を掌握したが、1265年シモンの敗死により、新体制は崩壊した

  自由憲章 1100年にイギリス王ヘンリー1世が戴冠式の宣誓の時に発布した特権認可状。 ヘンリー1世は、王位の確立を図り、貴族と教会との支持を取り付けるため、 先王ウィリアム2世時代の専制を改め、教会の特権を尊重し、 また貴族らの相続権や封建的特権を尊重すること、さらにそれを貴族らの臣下にも及ぼして封建社会の慣行を確定し、 悪評高いノルマン人殺人罰金を廃して、エドワード懺悔王時代の法を遵守して平和を維持することなどを全国に宣言した。 イギリス中世憲制史上重要な憲章である。

  封建制度 家士と言う一自由人が領主という一自由人に、 服従と一定の勤務を義務づけられ、 一方領主は家士に生活扶養義務と一般的保護の義務を負い領主は家士 に生活維持のために「方」 という財産を与えるところに生ずる私的な主従関係。 自由人相互間に結ばれる双務契約。

  オマージュ 一心を主人に委託することを象徴する儀式。

  封建的附帯義務 相続権・後見権・ 結婚同意権

  イングランド封建制の特徴 1) 封建関係に入っていない土地(自主地)が存在しない。2)ウィリアム1世の征服後に起こった反乱を鎮圧することによって、 支配層に土地の配給が行われた。そのため大陸のような一円支配が行われず、所領が分散している。

  ドゥームズデー・ ブック ウィリアム1世はフランスの封建制度を移入し、ノルマン貴族を各地に封じて統治させた。 その後全国的な検地を行い、ドゥームズデー・ブックと呼ばれる検地帳(土地台帳) を作成させ、全国の土地所有者を集めて王への忠誠を誓わせた。  ケルト税賦課の適正化のための台帳作成。

  地方判官 封建大諸侯である州長官が、 各州において過大な力を持ち専制的な支配者を阻止するために、在地の有力者に国王専管事項の裁判に当たらせた。

  バロン 広大な所領を封土として得た諸侯。  バロニー

  クラレンドン法  1) 聖職位推薦権についての訴訟は、国王裁判所において決定する。

2)教会の債務二官する訴訟も国王裁判所に措いて決定する。

3)国王直属封臣及び国王の官吏を国王の許可無くして破門・聖務停止できない。

4)聖職者は、国王の許可無く国土を離れ、ローマに上訴することは出来ない。

   1066年、イングランドではアングロ=サクソン人の王国である、ウエセックス王家が断絶すると、 フランスのノルマンディー公ウィリアムⅠ世がイングランドに侵入し、 ヘイステイングスの戦いに勝利することによってノルマン朝を開いた。この歴史的事件をノルマン・コンケストと呼ぶ。 ウィリアムⅠ世は征服によって得た所領を基盤とし、ドウムズデイ・ブックに象徴される強力な王権と行政組織を駆使して、 イングランドに封建国家の基礎を築いた。ヘンリーⅠ世の死後、後継者をめぐって内乱が起こったが、1154年フランスのアンジュー伯アンリがヘンリーⅡ世として、 プランタジネット朝を開きイングランドの支配者となった。その後ジョン王が大陸での所領を失った結果、 イングランド貴族は国内の所領経営に集中することになり、イングランドは独自の歴史を歩むことになった。

12~13世紀の農業技術や商業の発達はイングランドに貨幣を流通させることになり、騎士の基本的義務である軍役も貨幣によって代納する制度が出来た。イングランド貴族は、大陸への従軍を逃れるため、軍役免除金を支払って所領経営に取り組んだ。これがジェントリーと呼ばれる階層が発生する一つの要因となった。

ノルマン・コンケストは「ノルマンディー候がイングランド国王となったという意味以上に、イングランドが初めてヨーロッパ文化の中心的な流れの中に組み入れられた大きな文化史的な意味を踏まえて考えるのが主流となっている。」 (『西洋史特殊Ⅲp.168)

ウィリアムⅠ世は固有の領土であるノルマンディー公国において集権的封建制の確立に成功していた。ウィリアムⅠ世はこの体制を征服地であるイングランドにも適用した。まずイングランド国内に広大な所領を確保するとともに、従来の領主であったサクソン貴族を追放し、ノルマン貴族にその所領を継承させた。この際ノルマン貴族達が共謀して、国王に反乱することを恐れ、その所領を各地に散在させた。諸侯や騎士階級の所領が国内に分散し小規模であるという、被征服地イングランドの特異な状況がこのとき作られた。「ヨーロッパ大陸の封建制度においては、このような大諸侯の所領は一地域に大体集中し、たとえば、フランスにおいて、ノルマンディー公はノルマンディーを、アンジュー伯はアンジューを領有するように、それぞれの称号に含まれる地区全域を領有するのが普通であった」(『西洋史特殊Ⅲ』p.28)。大陸に比べ安定した統治が見込めるイングランドは、軍事・ 財政面で、ノルマン朝の大陸経営を支える役割を担っていた。このため、ウィリアムⅠ世はノルマン貴族に対して、 封建的土地所有に伴う義務として騎士軍役を負担させた。国王にとっては、 必要とする完全武装の騎士が供給される事が重要であり、その方法については直接関知しなかった。 そのため広大な封土を得たバロンと呼ばれる諸侯は、直轄地を除いた封土を再下封(国王からバロンに与えられた封土を、 自らの家士に再度与えること)して騎士を扶持するか、家中騎士として、 自己の所領内で扶持する方法をとっていた。

「初期にはバロンが屈強の勇者を身辺に養ってすべての生活の面倒を見た上に、 武器・軍馬をも提供する直接扶養の方法が相当あったらしい。しかしやがてこれらの勇者に封土を与えて自ら生活せしめ、かつ武具、 軍馬の類をも各自に調えしめる方法が一般化した」(『西洋史特殊Ⅲ』p.29)。諸侯や騎士階級の所領が国内に分散し小規模である、 というイングランドの状況により、再下封された封地はさらに零細な規模となり、生活を維持するための土地基盤とはならず、 その維持すら困難な状況になっていった。

ウィリアムⅠ世は直接封建関係を持たない人民を支配する方法として、サクソン人の統治手段であった、州・群制を利用し、民兵や税金の徴収をおこなうとともに、サクソン人の伝統的な軍制である、フュルド制を受け継いだ。この制度は一ハイド*1の土地から、一人の民兵を、五ハイドから一人の騎士を徴発して六十日間の軍務に当たらせるというものであった。しかし、サクソン人のフュルド制が国民的軍役であったのに対して、ウィリアムⅠ世の定めた騎士軍役賦課は、所領単位に賦課された軍役であった。このような騎士軍役制度は、1100年代ヘンリーⅠ世の治世において軍役免除税が出現することによって変質していった。

2)プランタジネット朝

ヘンリーⅠ世は、娘のマティルダを次のイングランド王に定めて死去した。この決定に従兄妹のスティーブンが異を唱えてイングランド王に就任すると、両者の間に内戦が続いたが1153年、 マティルダの子ヘンリーを次期イングランド王にすることで和解した。

ヘンリーは父方と母方から広大な所領を相続し、 さらにフランス王ルイ7世と離婚したエレアノールと結婚し、 彼女が相続していたアキテーヌ侯領をも手に入れた。ヘンリーはヘンリーⅡ世として即位すると南フランスに加え、 イングランドも支配するようになった。  

ヘンリーⅡ世は即位すると、戦争で疲弊していたイングランドの行政・司法・兵制を再建し、巡回裁判官を派遣して地方の行政を監視させ起訴陪審制を定め、土地などの占有権侵奪回復訴訟を令状によって国王裁判所に集中させた。イングランド国内の治安が回復すると、それまで治安維持の主体であったノルマン人騎士階級の軍事的な貢献度は低下していった。その結果ノルマン人の支配制度であり、上下の人間関係を基盤としたレーン制は後退し、封地を媒介とする関係が、国王-諸侯-騎士間の支配原理となっていった。

ノルマン・コンクエスト以来、歴代イングランド王はノルマンディー公を兼ねていることが多かった。ヘンリーⅡ世も例外ではなく、フランスにおけるアンジュー家の所領を守るために頻繁に出兵していた。国王の軍隊の主力は、直属封臣が差し出した騎士によって構成されていた。しかし封建的義務によって組織された軍隊は、騎士の従軍日数が平時は四十日、戦時は六十日と制限されていたことや、騎士割当数を満たすだけの雑多な集まりの場合も多く、実戦で役に立たないことが多かった。また強固な城郭が築かれることによって軍事戦術が変化し、軍の主力は騎士から歩兵になった。そのため、国王は軍役代納金を徴収し、現地において傭兵を主力とする軍隊を組織した方が、軍事上も財政上も有利になった。このように軍役義務の金納化によって、従来の人間関係や封建道徳を基礎とする制度は衰退し、土地のみを仲介とする再下封が進行した。しかし再下封は無制限に進行したわけではなく、 1,290年の「ウエストミンスター第三制定法」に見られるように、 一定の政治的制限が加えられ政策的に阻止された。(『世界歴史』p.246参照)

ヘンリー二世は1166年にバロン表と呼ばれる、騎士領の実数調査をおこなった。 これは騎士役賦課数の増加を意図したものであった。また実際の騎士役奉仕よりも、代納金の徴収を目的としていた。

軍役代納金を納めたのは、おもに騎士層であった。「これらの人々の大部分は、後述するように王権の確立とともに整備してくる行政機構の末端を形成する州・群の地方自治体の運営に、また。自己の所領経営にむしろ活動の場を見出してゆくのである。」(『西洋史特殊Ⅲ』p.49)。細分化された所領内において、 指導的役割を果たしたのは在地の有力者である騎士階級であった。 現実の軍務遂行を軍役代納金の支払いによって免除する体制が整うと、下層騎士階級は軍事に直接関与しない、 ジェントリーへと変容していった。「やがて彼らは、上層の自由土地保有者と合体して、在地の当然の指導者層を形成してゆく。 この広い中間層がジェントリーであって、これこそイギリスの支配体制の支柱をなす、」(『西洋史特殊Ⅲ』 p.78)。

3)都市の発達とジェントリー階級

「イングランドはスティーブン王の治世を除いて政治的には安定していた。自由な商工業活動と自治参政権の要求とを掲げたギルドがすでに征服以前よりロンドン、ヨークなどの都市に成立していたが、十二・三世紀に各都市は、財政、行政、裁判の各般にわたる自治権を獲得して発展してゆくこととなった。」(『イギリス中世史概説』p.168)。

自治の発達は、イングランド国制の基本的性格の一つであり、アングロ・ サクソン時代以来の地域的組織は国民を直接捉えうる組織であった。そのためノルマン・ コンケスト後も温存され封建的支配の道具として王権によって利用された。その後の王権の拡大は地域自治の発達を促進した。 当時の中央官吏は、数も少なく専門的知識にも乏しかった。このため王権の伸張をはかるには地域的共同体を利用することが便利であり、 また唯一の方法でもあった。地域社会において指導者として中心的な役割を果たしたのは騎士であり、 それはやがてジェントリーへと引き継がれていった。

ハイドhide イギリス中世におこなわれた地積単位。 本来は一家族の保有地を意味し、同時に徴税・軍役など公的負担賦課の基礎単位であったが、 多くの地方ではしだいに120エーカーの耕地を示す単位となった。『世界史小辞典』

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科目試験の申し込み葉書を投函

今日はひどく爽やかな一日だった。澄んだ青空と乾いた風が、いかにも五月らしくてうっとりしてしまった。事務所のブラインドを通りすぎていく風もやさしくて、つい居眠りをしてしまう。でももうすぐ梅雨だ。我が家の紫陽花も蕾をつけて、梅雨を待ちかまえている。

高校時代の同級生だった相棒と仕事をしているから、気分は高校生のままだが、確実に三十年以上の月日が過ぎた。相棒は高校生の時に比べれば30キロは体重が増えて、 頭も白くなってきた。私も頭が薄くなり、完璧なおじさんになった。

「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず 言を寄す全盛の紅顔子

すべからく憐れむべし半死の白頭翁 この翁の白頭真に憐れむべし これ昔の美少年」

美少年はともかく、庭の紫陽花は毎年同じように咲くのに、それを眺めている自分はどんどん年を取っていくというのは、人間の運命とはいえ「せつない」。

 

科目試験の申し込み葉書を投函した。貯金(負債)が貯まっているので、 6科目受験の予定だが、仕事の都合もあるので、3科目受験できればよい方だろうか。慶應のシステムでは、 成績の評価は科目試験で決まる。レポートがAでも科目試験がCなら、その科目の成績はCの評価になる。レポートの苦労を思うと、 なんだか納得行かない。もちろん逆の場合もあるが・・「自由時間」はひたすら「受験勉強」

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科目試験の評価

私に関して言えば、レポートの評価はおおむね正当?だと思う。「D]のレポートも時間がたって冷静に見られるようになれば、やはり「D」の内容しか書けていないし、課題に対するポイントがずれている場合もある。(この場合は評価の対象とならない)だから、レポートに関する限り「慶應大学」を信頼している。(科目による難易や、講評者との相性はあるが・・)

が・・科目試験の評価は「よく分からない」絶対に「A」だと思っていた科目が「C]の評価になるのは「たびたび」 不合格だと確信して、勉強を、し直していたら「B」で合格も「しばしば」あった。だから試験結果が到着するまで、“早まってはならない”。合格できれば「ラッキー○○単位ゲット」と喜びはするのだが・・少し釈然としない。

【自己流科目試験のテクニック】

1) 解答は出来るだけ簡潔に。解答用紙が白く見えると(書いてある部分が少ないと)なんだか不安になるが、文章の長さに関係なく「正確さ」が評価される。たくさん書いても意味がない。(何度も痛い目にあった)

2) 分からないことはあえて書くな。 歴史分野などは、年号や事件名、固有名詞の記述が必須だが、自信がなければあえて書かないこと。基本的な部分が間違っていると、他の部分が「正解」でもDになる。(何度も痛い目にあった)

3) とにかく書くこと。なんだか矛盾するようだが、「白紙」では評価してもらえない。知っていること、分かることを書くだけでも案外Cがもらえたりする。(何度も経験)

レポートに比べれば、科目試験の評価は遙かに「甘い」と思う。恐れずに、ダメモトで受験するべし。自戒を込めて・・

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英語の勉強

大学を卒業するためには、どうしても英語を8単位取得しなくてはならない。残り2単位のところで足踏みをしている。こつこつと小さな努力をすることが、一番の早道だと思いつつも、「楽な方法」を試してみたくなる。 最初に思いついたのが、OCRでテキストを取り込み、翻訳ソフトを使うこと。これが活用できれば、リーディング・ライティングは思うまま・・と意気込んで1万円台のソフトを購入したのだが・・完全な失敗だった。リーディングは翻訳された「意味不明」の日本語を必死になって「翻訳」しなくてはならなかった。ライティングは翻訳しやすいように、日本語のニュアンスを考えつつ。「簡単な日本語」に変換してから翻訳・・1ヶ月ほど意地になって使ったが、匙を投げることになった。「学問に王道なし」だろうか・・・

All expenses paid, the friend had said, and a little fee as well.
Nowadays Mr. Mileson could do with little fees.
And though at the time he had rejected the suggestion downright,
he had later seen that friend-acquaintance really-in the pub he went to at half past twelve on Sundays,
and had agreed to take part in the drama.
It was not just the little fee;there was something rather like prestige in the thing; his name as
co-respondent-now there was  something you would never have guessed!
The hotel bill to find its way to Mrs. da Tanka's husband,who would pass it to his solicitor.

http://odn.excite.co.jp/world/text/ excite翻訳
経費全部は支払われて、友人はほとんど前述とa料金を良くしませんでした。
この頃は、Milesonさんは小さい料金を処理することができました。
全くの当時、提案を拒絶しましたが、そして、彼は後で-本当中でその友人知人を見ました。
彼が日曜日に半分で12を超えて行って、同意したパブはドラマに参加します。
それは小さい料金であっただけではありません; 何かむしろものの威信のようなものがありました;
そこの現在共同応するとしての彼の名前はあなたが一度も推測したことがない何かでした!
da Tanka夫人の夫に届く宿賃。(その夫は、それを彼の事務弁護士に渡すでしょう)。

http://honyaku.yahoo.co.jp/transtext  ヤフー翻訳
全ての出費は引き合いましたと、友人が言いました、
そして、well.Nowadays氏Milesonとしての小さい料金はほとんど料金ですることができませんでした。
そして、彼が提案を拒絶してその時にまったく、
彼はその友人-面識really-inを後で見ました彼が日曜日の12時半に行ったパブ、そして、drama.
Itに参加することがまさに小さいfee;thereでないことを同意した何かが、
むしろものの名声のようにあった;そこのco-respondent-nowとしての彼の名前は、あなたが決して推測しなかっただろう何かでした!
ミセスへ行く途中を見つける宿泊費da、Tankaのhusband,whoは、彼の事務弁護士にそれを通過します。

http://tool.nifty.com/globalgate/ ニフテイ翻訳
オール支払経費、友達は言いました、そして小さな料金、
同様に。最近、Mileson氏は小さな料金を必要とします。
また、提案を全く拒絶した時に、彼はその後持ちましたが、
その友達知人に実際にイン会う、パブ、彼は行きました、に、
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それは単に小さな料金ではありませんでした;ものでやや名声のように何かがありました;共同回答者今、
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夫人、daタンカの夫(この人はそれを彼の依頼人へ渡すだろう)。

http://translate.google.com/translate_t グーグル翻訳
支払われたすべての費用は友人、小さい料金また言い。
この頃はMileson氏は小さい料金とすることができる。
そして彼が提案を率直に拒絶した時しかし、
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そこのco被告今として彼の名前はあなたが決して推測しなかろう何かだった!
彼の懇願者にそれを渡す夫人daの短歌の夫に方法を見つける宿泊料。

ニフテイ翻訳が★★だろうか・・ヤフーは、“やる気がない”としか思えない。

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慶應の科目試験

私達が受ける科目試験は、語学を除いて1問ないし2問の論述式である。問題用紙と解答用紙が配られる。だからヤマをかけてはずれると、白紙で提出することになる。

以下の過去問はhttp://www.nets.ne.jp/~keio/index.htmから入手したもの。簡単な手続きをすれば、誰でもダウンロード出来るが、管理人さんはとっくに卒業しているから、更新もなく、データーは古い。それに文学部の過去問しかない。私自身は一度も過去問が役に立ったことはない。気休めにもならなかった。ただ通信制での勉強を考えている人には参考になるかもしれない。(まなぶに値するか、勉強についていけるか・・・)

【国文学古典研究】 

1994.3  (1)つきあいの手紙 (2)江戸末期の俳諧
1994.6  (1)貞門俳諧について (2)蕪村の俳諧の特色について
1995.3 (1)西山宗因とその周囲の俳諧について (2)俳諧と他の文芸との関わり
1995.6 (1)江戸初期から芭蕉登場までの俳諧について
    (2)蕪村の俳諧の特色について
1995.9 (1)芭蕉没後の俳諧について (2)俳諧と他文学の関わりについて
1995.11 (1)室町中期から江戸初期の俳諧について (2)小林一茶の俳諧について
1996.1 (1)松永貞徳の俳諧について (2)江戸末期の俳諧について
1996.3 (1)井原西鶴の俳諧について (2)俳諧の本質について
1996.6  (1)室町時代の俳諧と江戸時代の俳諧の違い。
        (2)小林一茶の経歴と俳風について。
1996.9 (1)西鶴の文学の中で俳諧の位置づけについて
    (2)江戸末期の俳諧を述べ近代俳諧との関連を述べよ
1997.1 (1)創始期の俳諧について
    (2)蕪村の経歴、芸術とその俳諧を説明せよ
1997.6 (1)「奥の細道」の自筆本について論述せよ
    (2)江戸時代後期の俳諧の状況について論述せよ。 
【国文学古典研究】
1995.9 犬枕と犬之双紙の関係について
1995.11 遊女評判記類に見られる犬枕についてその特色
1996.1 P79現代語訳、解釈
1996.3 (1)山岡元隣「鴨長明方丈記之抄」 (2)加藤盤斎「長明方丈記抄」
    (3)岡西○中「清少納言傍註」についてのべよ
1996.6 (1)「犬之双紙 下17」より「かしましき~」までの現代薬
    (2)「年々義々花相似たり」の詩の訳
1996.9 (1)不嫌餓得粗食・・・ (2)不快意鈍刀切物 (P19)
1996.11 (1)中のあしき物 美を専にする人と利を強いて好む人とかたをならえつつ
     もときめく同士 数奇なとあらそふ同士 
    (2)さひしきもの 入江の鐘 春のながめ 残るむしのね 猿の声
1997.1 遊女評判記に見える「犬枕」について具体例を示しつつ詳しく説明しなさい
1997.3 現代日本語訳 P56L10-13
1997.6 近世前期における「徒然草」の享受について、具体的に作品をあげ論ぜよ。 
1997.9 近世前期における「枕草子」の享受様相について注釈書を中心に述べよ
【アメリカ文学】
1994.3 「American Renaisaunce」といわれるアメリカ文学の一時期について
     作家作品名をあげながら論ぜよ。(作家・作品名は英文、和文いずれも可)
1994.6 危機の時代と言われる1930年代のアメリカ文学を作者名と作品名をあげて説。
1994.9 realismの生成について
1995.1 Scatt、fitggerald について説明せよ
1995.6 アメリカの女性作家の作品について作品名をあげて論じる
1995.9 American Dreamとアメリカ文学の関わりについて
1995.1 1puritanismとアメリカ文学について
1996.1 アメリカ自然主義文学について
1996.3 ヘミングウェイの現代性についてのべよ
1996.6 テキスト第三章の「一度は読んでおきたい作品」から一つを選び論じる。
1996.9 ロマンティシズム時代からリアリズム時代へ移行する社会的背景ならびに過渡期の文学について
1996.11 アメリカの作家の中でノーベル文学賞を受賞した物を5人以上あげよ。
    英語で書くこと。その一人についてのべよ。
1997.1 テキスト第4章「7人の作家」より一人の作家を選び論じよ
1997.3 アメリカ文学の社会対個人について論ぜよ
【アメリカ文学研究】
1994.3 (1)悲劇喜劇の関係の変化についてのべよ
    (2)次の作品についてのべよ A)ホンブルク公子 B)日の出前
1994.6 (1)レッシングの市民○劇と彼以降の演劇について
    (2)作者名と演劇史上の意義A)アルプス王と人間嫌い B)イエスマンとノーマン
1994.9 (1)説明、作者、代表作
    (2)a)市民悲劇 b)ウィーン民衆悲劇 c)異化効果 d)シャウシュビール
1994.11 作品の作者と歴史的意義
    (2)ウイルヘルム・テル (3)ガリレイの生涯 (4)エミーリァ・ガロッティ
1995.1 (1)オーストリアの演劇の特徴を述べよ
    (2)次の作品の作者は誰か演劇史~の影響を述べよ
1995.3 (1)シェークスピアがドイツ演劇に及ぼした影響  
    (2)ダントンの死 三文オペラ
1995.6 (1)シャウシュピール (2)ドラマの危機 (3)V効果
1995.9 (1)シェイクスピア時代の政治について
    (2)暗い喜劇を一つあげて論ぜよ
1995.11 (1)市民悲劇の誕生とその後の展開について
    (2)筆者は誰か、その作品のドイツ演劇の近代の歴史の上での意義
     「操り人形劇について」 「ドラマの技法」
1996.1 (1)オーストリア演劇とその特質。
    (2)「たくらみと恋い」「日の出前」の作者とその特徴
1996.3 言葉の意味説明、作品をあげよ
    三統一の悲劇 シャウシュビール 無罪過の悲劇 叙事的演劇
1996.6 人物と作品の歴史的意義を考えて説明せよ
    ボードマーとプライティンガー 群盗 ネストロイ 緑のオウム v効果
1996.9 作品の時期と作者ドイツ演劇史における位置づけ
    賢者ナータン ホンブルク公子 一夢人生 春の目覚め 
    肝っ玉おっ母とその子供たち
1996.11 人物、作品名をあげて説明せよ
    催涙劇 市民悲劇 無過失の悲劇 教育劇
1997.1 (1)ハンブルグ演劇論
    (2)操り人形 (3)ドラマの技法 (4)叙事的演劇
1997.3 次の作品はどの時期に誰によって書かれドイツ演劇史のどのような位置にあか    
    (1)ミスサラサンプリン (2)ヴィルヘルムテル (3)アルプス王と人間嫌い 
    (4)職工たち (5)アンドラ
1997.6 次の言葉について述べなさい。
    (1)市民悲劇 (2)無罪過の悲劇 (3)叙事的演劇 
1997.9  ドイツ演劇史におけるオーストリア演劇の特性について述べよ
1997.11 以下の作品について、作者を記し、ドイツ演劇史における意義について述べよ。
       <1>『賢者ナータン』<2>『オルレアンの処女』
       <3>『ダントンの死』<4>『物理学者』
【現代倫理学の諸問題】
1994.3 フッサールの「世界像」という概念を倫理学的観点から論ぜよ
1994.9 「世界像」の意味とその時代背景について述べなさい。
1994.1 生○学的危機への倫理学の対処について、事実と価値という観点からのべよ
1995.1 言語におけるモノローグレディアローグの区分について倫理学の観点を論ぜよ。
1995.6 第一次世界大戦後の危機意識についてのその内容と成立理由を述べ
    更に現代思想における意義を述べなさい。
1995.9 近代思惟の「自然主義」と「世界喪失」について簡略に説明しその必然的な
    関係を明らかにせよ
1995.11 批判のアイロニーとユーモアについて述べよ。
1996.1 倫理学の理論モデルについて簡潔に述べ、現代倫理学の理論モデルとしての
    条件をのべよ
1996.3 「中時間」という言葉の由来と本来の意味を明らかにしたうえで、
    「近代進歩史観」の言葉の意味の変容についてのべよ
1996.6 ニヒリズムを生じる社会状況と人間の条件を述べよ
1996.9 「宇宙における人間の存在」を考えたときに生態学はどういう役割を果たすか。
1996.11 「歴史の倫理性」と「倫理の歴史性」を比較し論じなさい
1997.1 キリシャ的自然観とヘブライ的自然観を比較説明し、人間と自然との
    関係を考察するときこの2つの自然観のもつ意義を述べよ
1997.3 倫理の状況規定性について説明し、その倫理的意義について論ぜよ
【教育史】
1994.3 「教育聖旨」「教育○」「教育議付○」の数学論争の論点を述べ論評せよ
1994.6 明治以降の教育制度と江戸時代の教育制度を比較して論じなさい。
1994.9 「被仰出書」の教育理念について
1994.11 ○○礼の学制改革の内容と教育思想の特色について
1995.1 「教育に関する勅語」の制定○○についてのべ「勅語」の内容について説明せよ
1995.3 大正自由教育の原動力となったものは何か
1995.6 江戸時代の私塾における教育内容を昌平校、藩校と比較しながら論ぜよ
1995.9 明治5年の太政官布告第214号の内容を概説せよ
1995.11  明治12年の「教育大旨」に始まる数学論争についてその経過と内容。
1996.1 明治中期我が国を風靡したヘルバルト主義教授理論について
1996.3 明治30年代の学制改革で初等、中等、高等教育について概略的な説明を試み    なさい。(明治後期の教育の概要が分かるように)
1996.6 江戸期の教育は儒学・国学・洋学の3つに大別されるが、それぞれの基本的立 場についてのべよ
1996.9 明治5年から19年の我が国の教育制度の変還を述べよ。
1997.1 明治初期の教育観界の動向について教育理論と教育運動の二つの
    面から論じなさい。
1997.6 明治時代の教育の発展における江戸時代の教育の影響。
1997.9 被仰出書の意義はどのようなものであったか述べなさい
【史学概論】
1994.3 19世紀ドイツにおいて近代史学が成立したのはプロイセンの政情とロマン主義
     の影響に起因しているがその理由を説明せよ。25字以内。
1994.6 歴史観は必要か、必要でないか。正しいと思う方についてその理由を論じる。
1994.9 「史学史」はどのような歴史か。必要であるか無用であるか。20行以内。
1994.11 ホイジンガの文化を○○する「遊び」にはパラドックスがあるというが
     どの様なことか(20字以内)
1995.1 ナショナリズム史観の特徴を具体的にあげて20行以内で説明。
1995.3 歴史の事実は歴史家が発見するものなのか、構成するものなのか、
1995.6 歴史の事実とは1回性で言い尽くせるか尽くせないか、理論的に説明せよ
1995.9 歴史における自由と必然の問題を概念論者と分析哲学者は各々どう考えていか
1995.11「歴史の中の歴史」とは何か。論理的に20行以内で。1996.1  歴史学は啓蒙思想よりロマン主義のほうが深く関係している、それはなぜか。理論的に説明せよ。
1996.3ヘロドトスが「歴史の父」と呼ばれる理由を理論的に説明せよ。(20行以内)
1996.6 歴史の発見理論と構成理論の差を25行以内で
1996.9 歴史が歴史家の解釈によってつくられるとしたら、歴史叙述の客観性はどこに求められるか。
1996.11 説明仮説とは何か。歴史の叙述にどう働くか。
1997.1 19世紀ドイツの「近代史学」はローマン主義と深く関わるが
    その関係について述べよ
1997.3 歴史は「個性記述」と言われる。この見解の誤りについて理論的に述べよ
1997.6 ドイツで近代史学が成立したのは政情とロマン主義に関係がある。
    それを述べよ。 
1997.9 歴史の発見理論と構成理論の違いについて
【人文地理学】
1994.3 自然地理学と人文地理学の違い
1994.6 計量地理学の限界と問題点について
1994.9 計量地理学の限界と問題点について
1995.1 地域の観光開発に人文地理学は大いに寄与していると言われる理由を論ぜよ
1995.3 あなたの住んでいる地域について人文地理学的に説明せよ
1995.6 地理学において人文地理学とはどういうことか。
1995.9 人文地理学と計量地理学の相違点について
1995.11 自然地理学と人文地理学との特徴を述べなさい。
1996.1 地域開発ないしは特産品開発に人文地理学の有益性を論ぜよ
1996.3  歴史地理と人文地理の相違点
1996.6 地理学と人文地理学の相違
1996.9  計量地理学について
1996.11 自然地理学と人文地理学の違いについて述べよ
1997.1 観光地開発における人文地理学の果たす役割について
1997.3 あなたの住む地域を人文地理学的に述べよ
【歴史哲学】
1994.3(1)ヘルダーの啓蒙思想に同調する点と反対する点を25字以内。
(2)デカルトについて。
1994.6ヘーゲルの「理性の狡知」について例をあげてのべよ
1994.9思弁的歴史哲学と分析哲学は両立するか対立しているか
1994.11カントの「自然計画」とフイヒテの「世界計画」の共通点について
1995.1 ホッパーの全体論によって歴史を科学的に説明できるかどうか論ぜよ
1995.3 「キリスト教の救済史の近代化の変容」とは
1995.6 ホッパーのいう斬進的社会工学で歴史の科学的説明を完全にできるかできなか
1995.9 ヘーゲルの歴史哲学は19世紀が限界だといわれる理由
1995.11 歴史認識における「理解」と「説明」の違いを20行以内に理論的に述べよ。
1996.1  歴史哲学におけるカントの「敵対関係」(アンタゴラス)とヘーゲルの弁証法    における似て非なる点と違う点を要点を簡潔に述べよ(20行以内)
1996.3  歴史の分析哲学者が新カント学派を批判した点を述べよ(20行以内)
1996.6 ヘーゲルのいう「理性の狡知」とは何か。ヘーゲルの「歴史哲学論」の内容に
   即して具体的に25行以内で論じる。
1996.9 プレハーノフにおける自由と必然について
1996.11 ホッパーについて
1997.1 ヘルダーの歴史哲学はそれまでの啓蒙主義の歴史哲学との相違点
1997.3 カント哲学とヘーゲル哲学における「国家の意味」の違いについて
1997.6 歴史哲学におけるカントのいう「敵対関係」(アンタゴニズム)について
    ヘーゲルの弁証法と合わせて説明せよ。 
【書道】
1994.3 (1)三筆と三蹟について
    (2)孔侍中帖について
1995.6 (1)最澄の書について
    (2)張芝
1995.9 (1)孔子○堂牌
    (2)本能寺切
1996.1 (1)龍門造像記
    (2)西本願寺三十六人集
1996.3 (1)継色紙 (2)唐の太宗
1996.6 (1)三蹟  (2)道因法師碑
1996.9 (1)寸松庵色紙 (2)北○の○について
1996.11 (1)○塔聖教序 (2)関戸本古今集
1997.1 (1)韻問造像記 (2)曼珠院古今
1997.9 (1)蘭享序と集字楽
    (2)藤原佐理
1997.11 1 古今和歌集の古筆について
        2 書譜
【日米比較文化論(総論)】
1997.3 (1)アメリカ東海岸と日本の気候について比較せよ。
    (2)単一民族国家と多民族国家の違いについて論ぜよ。
    (3)アメリカと日本の法案(議案)審議の違いについて論ぜよ。
    (4)高度経済成長に伴う社会変化について述べよ。
1997.6 (1)日本とアメリカの国土利用の違いについて
    (2)ユダヤ系アメリカ人について
    (3)日本における宗教の役割
    (4)日本とアメリカにおける主権在民の違いについて
    (5)自由主義経済
【国文学古典研究】
1994.9 赤、黒、黄表紙の特徴について
1995.6 中世小説をつぐ作品群について具体的作品をあげて詳細をのべよ
1995.9 武道伝来期と武家義理物語の内容の特徴を対比させつつ論じよ。
1995.11「風流志道軒伝」「放屁論」を中心に、平賀源内の談義本について述べよ。
1996.1 (1)浄瑠璃の世界における西鶴と近松門左衛門の競作について
    (2)西鶴の俳諧について
1996.11 仮名草紙のうち遊里・遊女評判の作品をとりあげその特徴を詳しく述べよ
【中世英文学史】
1994.6 Authurian Romancesについて
1994.9 (1)Malory の La Marte Darthurについて
(2)Land land      Ballads     Alliterative Long Time
1995.3 (1)ショーサーは自分自身のことを自作の小説のなかでどのように描いているか
        (2)Merry England    Beowulf  Boethius
1995.6 (1)chavcerの自画像について
    (2)The pearl  alliterative long line konning
1995.11 (1)ARTHUR ロレンスの源流についてのべよ
    (2)SHORT couplet  DE論の特徴  DREAM VISION
1996.1 (1)Sir Gawain and Green Knightの構成と意味
    (2)Confessio Amantis   Ballads  Caedmon
1996.3 (1)ALLITERATIVE REVIVALの特徴について
    (2)GERMANI'A  MERRY ENGLAND
1996.9 (1) Old English における自然観について論じなさい。
   (2)語句説明 a)The Pearl  b)C dmon  c)John Gower
1997.1 (1)アーサー王ロマンスの起源と中世における発達を論ぜよ
    (2)ALLTERNATIVE LONG-TIME (2)OE詩の特徴 (3)PIRES PLOWMAN
1997.9 (1)アーサー王ロマンスの起源と中世における発達を論ぜよ
    (2)OE詩の特徴 JOHN GOWER WYCLIFFE聖書
【イギリス文学研究】
1994.6 現代演劇について
1995.3 (1)エリオット P63ー64和訳
    (2)P37和訳
1995.11 (1)P52 L9-20 和訳
(2)HOME THOUGHT FROM ABROAD にふれながら感想を述べよ。
1996.1  (1)詩の和訳 Thomas hardy の The DARKLING thrush 17-32行
    (2)(1)の詩の特徴とこの詩の印象
1996.11 (1)P48 11-110
        (2)(1)の作品の特徴と感想を述べよ
【都市構造論】
1994.3 (1)レオナルド・ダ・ヴインチとデカルトについてのべよ
    (2)バークとブース
1994.6 (1)都市文学と都市の研究についてのべよ
    (2)移民と人種と都市についてのべよ
1994.9 (1)ブースの都市研究の意義について
    (2)ゲマインシャフトと都市について
1995.1 (1)アーバニズムについて (2)ポリス的動物について
1995.3 (1)ホワイトカラーと都市空間について
    (2)マックスウェーバーについて
1995.6 (1)シンクレア・ルイスの小説と都市研究について
    (2)クーリーについて
1995.9 (1)人間生態学 (2)アリストテレス
1995.11 (1)ホワイトカラーについてかけ。
     (2)マックス・ウェーバーについてかけ。
1996.1 (1)ハワードについて
    (2)コミュニティについて
1996.3 (1)パースの都市論 (2)コントとスペンサーの違い
1996.6 (1)スミスとスペンサーについて
    (2)都市の文学について
1996.9 (1)ブースとハワードについて
    (2)メガロポリスについて
1996.11 (1)都市における人と人とのふれあいについて述べよ
(2)貨幣について述べよ。
1997.1 (1)都市計画について述べよ
    (2)大都市と小都市について述べよ
1997.6 (1)都市と自然について
    (2)パークについて 
1997.9 (1)スペンサーについて
    (2)メガロポリスについて
1997.11  1 メトロポリスとメガロポリスについて
         2 ジンメルについて述べよ
教育心理学
1994.3 (1)語句説明 a)モデリング b)オペラント条件付 c)生活による三項関係
1994.6 (1)語句説明 A)脱中心化 (ピアジェ)B)プログラム学習 C)先行オーガナイザー
1994.9 (1)語句説明 A)CAI B)具体的操作と形式的操作 C)最道的な認知的葛藤
(2)ロジャースの来談者中心療法を学校教育にどう応用できるか
1994.11  ピアジェ・コールバーグの理論をもとに商学3、4年生と高校生に社会規範を
    教える場合の違いについて
1995.1 (1)語句説明 a)原因帰属 b)双生一児法 c)一時的ことば、二次的ことば
(2)「暗記学習」と「深い理解による学習」との間に何か差異はあるか否かを
     教育心理学に基づいて説明せよ
1995.3 (1)適正処理交互作用 テストの概念的妥当性 内発的動機つけ
    (2)作動記憶不能による学力低下をどのように克服したらよいか
1995.6 (1)語句説明 来談者中心療法 知能指数 達成動機つけ
    (2)学校で学習したことが 実生活の上で転移しにくいのはなぜか
1995.9  (1)正の転移 自己中心性(ピアジェ) ATI
    (2)集団準拠評価と目標準拠評価の違いを述べ、学習者の学習意欲に
     与える影響を述べよ
1995.11 (1)語句説明 形式的評価 ヤーキズ ダットソンの法則 発達の相互作用説
    (2)帰国子女の心理的問題と学校の対処のありかたについて
1996.1 (1)テストの信頼性と妥当性について 内的動機について 前操作的段階(ピアジェ)
    (2)作動記憶の制約による学習上の困難とその解釈法についてのべよ
1996.3 (1)知的好奇心 正規分布曲線 完全習得学習 語句説明
    (2)心理的発達における遺伝の影響について
1996.6 (1)メタ認知 オリジンとポーン 森田療法 
    (2)オペラント条件を学校の教育に当てはめて事例を述べよ
1996.9 (1)認知的葛藤 遺伝型と表現型 保存機能(ピアジェによる)
        (2)学校においてやる気を測定(評価)する事の良否を心理学的に検討せよ
1996.11 (1)動的記憶、作動記憶 一次的言葉と二次的言葉 学習的無力感
    (2)教師とカウンセラーの役目の共通点と相違点を心理学的に述べよ
1997.1 (1)プログラム学習 広義の学習と狭義の学習 刷り込み
    (2)外発的動機付けを利用して内発的動機づけを導くことが可能か考察せよ
1997.3 (1)中学2年生と小学4年生に「人に親切にしなさい」と教える時の違いについて
    (2)用語解説 学習の転移 力量検査と速度検査 コントロール定位
1997.6 (1)簡単に説明しなさい。先行オーガナイザー 保存概念 IQ
    (2)「体制」の良否について心理学的に述べなさい。(論理学・法学的でなく)
          体罰について心理学的側面から考察せよ。
1997.9 (1)正規曲線 コントロール定位 自己中心主義
【心理学】
1994.3 順応について
1994.6 感情について
1994.9 運動の認知について
1994.11 思考について
1995.1 行動の種類について
1995.3 浄化スケジュールについて
1995.6 問題解決について
1995.9 要求について
1995.11 物の恒常について
1996.1  環境と行動との関連についてのべよ。
1996.3 「記憶」について論じなさい。
1996.6 感性の認知についてのべよ。
1996.9 コンフリクトの基本型について
1996.11 ゲシュタルトの法則について 記憶について
1997.1 心理学が行動の科学と言われるのはなぜか
1997.3 習得的行動について論じよ
1997.9 弁別と般化について論ぜよ
【西洋史概説】
1994.3 語句説明 (1)帝国主義  (2)封建制の危機
1994.6 イギリスのピュリタン革命について
1994.9 語句説明 (1)全般的危機 (2)マニフェスト・デスティニー
        (3)ロカルノ体制 (4)エリザベス・世
1994.11 南北戦争の原因とその経過について
1995.3 (1)封建的危機について
    (2)レーニン 正統主義
1995.6 (1)イギリス、フランスの植民地抗争について
    (2)第二次大戦における独ソ戦争の勃発、結果について
1995.9 クリミア戦争 イエズス会 太平洋憲章 堪え難き諸法 ネップ政策
1995.11 世界恐慌とドイツにおける恐慌政策について述べよ。
1996.1  (1)大航海時代におけるポルトガルの歴史的意義についてのべよ。
    (2)19世紀イギリスにおける労働運動とその歴史的意義について説明しなさい。
1996.3 (1)絶対主義の学説について述べなさい。
    (2)ロシア革命の原因と経過について述べなさい。
1996.6 (1)イタリア・ルネッサンスと北方ルネッサンスを比較し説明せよ
    (2)次の語句を説明せよ。a)共産党宣言 b)社会契約論 c)トルデシャリス条約
1996.9 (1)ヨーロッパの農奴制について具体的に説明しなさい。
    (2)語句説明 a)? b)? c)スターリング・ブロック
           d)マニフェスト・デスティニー
1996.11 (1)南北戦争とその歴史的意義について
    (2)無敵艦隊 ネップ政策 フランス人の民法典
1997.1 (1)英・仏の対立抗争を具体的に説明せよ
    (2)帝国主義について
1997.3 (1)南北戦争とその歴史的意義 
    (2)語句説明 クリミア戦争 ○○ ○○
1997.9 (1)啓蒙専制君主たちの改革についてのべよ
    (2)権利典章 エンリケ航海王子 スペイン内戦 ニューデイル 太陽の都
【地理学】
1994.6 地形によって生活がどう変わるか例をあげて説明せよ。
1994.9 93年は冷夏により米の不作で国産米と輸入米との差が注目されたが、
    このことについて穀物としての米の特性から説明せよ。
1994.11 大都市域周辺には野菜や花など特定近郊農業地域がある。両地域の関係について
1995.1 あなたの住んでいる狭い地域の略図を書きなさい。
1995.3 日本における空港立地条件について
1995.6 (1)兵庫県南部地震によってわかった大災害に対する地理上の留意点
    (2)兵庫県南部地震の大災害を考えて、一般的知識として生活場所についての
     地形について考慮すべきことを述べよ
1995.9 世界各地の食物の基本材料とその組み合わせは異なる。
    それを地理的基本条件により説明せよ。
1995.11 あなたの知っている観光地の略図を書きなさい。
    記号・地名のみとし、説明文は書かないこと。
1996.1  都市の代表的鉄道駅が旧市街のはずれにあるのはなぜか。
    また現在それがもたらすプラス面、マイナス面
1996.3 高度工業化社会の発展によって豊かになり、利便追求度も加速されてきたが、
    一方自然保護の考えも同時進行している。
    なぜかを地域を地理的に例示して説明しなさい。
1996.6 食料自給の問題が世界各地の人々の生活上基本となることを
    各地の現状をふまえてあなたの考えを述べよ。
1996.9 世界では例えば中国と台湾、アラブ(PLO含む)とイスラエル、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ルワンダのように同地域内でも人々の対立が続いているが、その基本的原因は何か地理的立場に立って説明せよ
1996.11 地下水の汚れがなぜ問題となるか。日本各地の例からまとめなさい。
1997.1 自分の家の周りの地図をかきなさい。地図記号以外の説明は書かない。
1997.3 自動車交通の利点と欠点を地理的側面から見てまとめる
1997.6 今日の都市は巨大化してきているが、それはどの様な事が重なって起こっている    のか。 
1997.9 自然あふれる農山漁村とはどのようなものをいうのか
    また理想的な都市域とはどのようなものをいうのか
1997.11  休暇を取るために適当と思われる場所の条件などをあなたなりにまとめ
        て述べなさい。
【日本史概説】
1994.3 (1)院制について (2)愚管抄について
1994.6 (1)聖武天皇について (2)惣について
1994.9 (1)一遍と時宗について (2)平城京について
1994.11 (1)法然 (2)5人の倭王 (3)○国○固○役
1995.1 (1)広開土王碑 (2)両統迭立
1995.6 (1)遣唐使 (2)承久の乱
1995.9 (1)座 (2)太政官
1995.11 大宝律令について、他1問。
1996.1  (1)土倉と酒屋について
    (2)空也と源信について
1996.3  (1)桓武天皇 (2)三管四職
1996.6(1)末法思想について (2)嘉吉の乱
1996.9 (1)大宝律令について (2)足利義栓について
1997.1 (1)倭の五王について (2)東山文化について
1997.3 (1)戦国分国法について (2)藤原不比等について
1997.9 (1)最澄と空海について (2)山城の国一揆について
1997.11 1北山文化について
        2白川上皇について
【国文学古典研究】
1995.6 (1)歌道師範家について
    (2)拾遺から後拾遺へかけての和歌史
1995.9 (1)古今集の特質 (2)平安朝における百首歌
1995.11(1)拾遺集の成立について
(2)西行と俊成について
1996.1  (1)新古今集の特質について
 (2)堀河朝歌壇について
1996.3(1)桓武天皇について
(2)三管四職について
1996.6(1)後撰和歌集の特質について (2)院政期の歌人たちについて
1996.11(1)平安時代の百首歌史について概述せよ。
(2)新古今集の特質を述べよ。
【東洋史概説】
1994.3清朝末期について10行以内。
1994.6(1)1842年の世界的意義についてのべよ
(2)語句説明 四○全書  ○学
1994.9(1)宋~○にかけての徴税法の変還について
(2)語句説明 紅撰夢 孫子
1995.1(1)宋から清への兵制の移り変わり
 (2)西遊記について (3)乾○帝について
1995.3 (1)宋代から清までの北(華北)と南(華中・華南)の位置の変更
        (2)三国志演義 ○正帝
1995.6 (1)宋代から清代魔での中国文化の変還について
    (2)五斗米道 明の永楽帝
1995.9 (1)明・清期におけるヨーロッパ宣教師の中国での活躍と中国の文化に与えた影響
        (2)色目人 ヘジラ
1995.11 (1)宋代から清末までの産業と商業の発達について
    (2)一条鞭法  靖康の難
1996.1 (1)元朝と清朝はそれぞれ中国における異民族支配王朝であるが、
     その支配の特色を他の漢民族王朝と比べながら15行以内でのべよ
    (2)ゾロアスター教 タラスの会戦
1996.3 (1)宋から清代にかけての交渉史について
    (2)孫文 同治中興
1996.6 (1)宋代の都市の発達と庶民文化についてのべよ
    (2)王安石 三藩の乱
1996.9 (1)宋以降の外来宗教(キリスト教イスラム教)の伝来について
    (2)里甲 ○戌の政変
1997.1 (1)明文化と清文化の違い
    (2)契丹 太宋オゴタイ1997.3 (1)元~清代にいたる民衆反乱を二つあげその実態と特色を
    15行以内で説明
    (2)3行以内で説明 臨安 チムール
1997.9 (1)モンゴル帝国と元朝の関わりについて15行以内で
    (2)里甲制について2行以内 (3)道教について2行で
【近世英文学史】
1994.3 (1)Metaphysicla Poetsについて具体例を挙げて論じよ
    (2)ロマン派の詩について、その特色とそれ以前の詩との違いを述べよ。
1994.6 (1)Petrarchism Poetsについて
    (2)ヴィクトリア朝の小説について具体的な作品をあげて論じなさい。
1994.9 (1)Sonetについて具体的に詩人名をあげて説明せよ
    (2)18世紀の小説の発達について代表的な作品をあげて論じなさい。
1994.11 (1)シェークスピアのコメディの特色を複数の作品をあげて述べよ
     2)ビクトリア朝の詩人を3人あげてその特色を述べよ。
1995.1 (1)Paradise lostuについて内容と構造を論ぜよ
    (2)Alfreatennycon の作品を具体例をあげて論ぜよ
1995.3 (1)ピューリタン文学の宗教的特色について
    (2)ロマン派詩人の政治意識について具体的に詩人の名をあげて
1995.6 (1)ロマン主義および古典主義について
    (2)conceit  The authorize version  Tristram Shandy
1995.9 (1)シェイクスピアと同時代の劇作家と作品をいくつかあげ述べよ
    (2)語句説明 George Eliot Ossian
1995.11 エリザベス朝におけるSonetの発展について述べよ。他。
1996.1 (1)Victiria朝の長編小説を3つあげ、その主題を述べよ。
    (2)語句説明:a)The Pilgrim's Press  b)medievalism(中世趣味) c)Pastral
1996.3 (1)John Miltonの詩作品の主題について (2)語句説明 Petrachism 他
1996.6 (1)Tennysonの詩の特色について作品名をあげつつ論じる。
    (2)語句説明 a)? b)Christian Humanism  c)William Morris
1996.9 (1)PURITANISM と同時代の文学との関係を論じよ
    (2)CONCEIT  MODERN PAINTERS  INTERLUDE
1996.11 (1)LYRICAL BALLADS の評論について論ぜよ
    (2)ANATOMY OF MELANCHOL  YEVAGELICAIST THE SHEPHEADES
1997.1 (1)エリザベス朝の上演形態について
    (2)A DIRECTRY OF ENGLISH LANGUAGE  PASTORAL  THOMAS HARDY
1997.9 (1)チューダー朝からエリザベス朝にかけて演劇の上演形態は
     どのように変化したか論じなさい
    (2)POETIC CONCEIT A DICTIONARY OF ENGLISH LANGUAGE AUTHORIZED VERSION
【アメリカ文学研究】
1994.9 「Seize the day」というタイトルにもなっている重要な言葉が、
     なぜタムキンの様な人物によって発せられたのか論じなさい。
1994.11 20世紀アメリカ文学にシャーウッド・アンダスンがいかなる影響を与えたかに
     ついて知るところを述べよ
1995.1 Andeunの「Egg」について
1995.6 アメリカの短編小説史上におけるシャーウッド・アンダーソンの作品の意味を
    形式、内容の両面で The egg を例に取り答えよ
1995.9 フラナリー・オコナーのEverything hat Rises Must Couverge で作者の
    人間観はどのように表現されているか。アメリカ南部の風土を考慮し論述
1996.1 Seize the Dayはそれ以前にSaul Bellowが発表した作品と比べてどのような
    特色を備えていると考えられるか、作品の内容に言及しつつのべよ
1996.6 次に引用した文章の原題、原著者名を答え作品の内容を言及しながら解釈せよ
    P7 L2-5
1996.11 P37 L8-11 文章の原題、原著者名 作品内容と解釈
【ドイツ近代小説】
1994.6(1)19世紀のドイツ教養小説について
(2)次の主人公の作品と作者名をあげ、文学史上の意義についてのべよ
      オベロン  イェニー・トライベル
1994.9次の主人公の作品と作者名をあげ、文学史上の意義を述べよ
(1)ラスコーン (2)ヘルマンとドローテア (3)牡猫ムルの人生観 (4)荒野の猿
1994.11次の用語を説明し、その代表的作品をあげて文学的意義をのべよ
   (1)アフォリズム (2)ヘクサメーター (3)劇作メルヘン (4)市民的リアリズム
1995.1(1)古典主義とロマン主義がリアリズムに及ぼした影響について
(2)次の作品の作者と年代、文学史上どのような位置にあるか
      「魔の山」「ジンプリツイシムスの冒険」
1995.3 (1)語句説明を具体的な作品名に即して行い、さらにその意義について考える
     田園詩 民間メルヘン 村の文学 亡命文学
1995.6 (1)言葉の意味を具体的な作品名をあげながらのべよ  
     バロック ヘクサメーター 民間メルヘン 郷土文学
1995.9 (1)ブィルヘルム・マイスター後の教養小説について
   (2)オベロンと荒野の狼の作家と思想について

1995.11 次の言葉はなにか、該当する主要な作者または作品名をあげ説明せよ
    アフォリズム 創作メルヘン センチメンタリズム 詩的リアリズム
1996.1  (1)リアリズム文学の性質についてのべよ
(2)古典主義文学の「古典」の意味を例をあげて説明せよ
1996.3 (1)ロマン主義とその後の創作メルヘンが近代ドイツ小説と呼ばれるのはなぜか
        (2)ドイツ文学のリアリズム時代における都会と地方の関係について
1996.6(1)近代ドイツ小説の書簡(手紙)の形をとった小説の
     代表的な小説について論ぜよ
 (2)ドイツのリアリズムが、イギリス、フランスのリアリズムと異なる点。
1996.9(1)イギリス文学の影響
 (2)ビーダーマイアー期に特に好まれたジャンルについて例をあげながら述べよ。
1996.11次の語句について説明し、その主な作品を述べよ。
  (1)バロック (2)ロココ (3)ロマン的アイロニー (4)若いドイツ
1997.1 (1)啓蒙主義とロマン主義の目指した物とちがい
    (2)写実時代のスイスの作家について述べよ
1997.3 次の作品の作者と属する時代、作品の意義を述べよ
    「救世主」「ヘルマンとドローテア」「画家ノルテン」「荒野の狼」
1997.6 アフォリズム・親和力・新即物主義・ウンディーネ
    について簡単に説明せよ
1997.9 次の点について複数例を挙げ、その特徴を述べなさい
   (1)書簡体小説について(2)スイスの作家について
1997.11 ロマン主義文学とリアリズム文学の相違点
【20世紀のフランス文学】
1994.3(1)象徴詩の特徴
(2)作品と批評との関係について
1994.6(1)ポピュリスムの小説について
(2)N.R.Fと批評について
1994.9自然主義の演劇について
1994.11(1)アンガージュマンの小説について
(2)ジャック・コボーの演劇革新について
1995.1(1)大河小説
(2)創造批評について
1995.6 (1)実存主義 (2)ヴァレリーと純粋詩
1995.9 (1)20世紀小説の先駆者としてのジットとプルーストの役割
    (2)象徴主義演劇について 
1995.11(1)ダダ及びシュールレアリズムについて
(2)いわゆる新しい批評に属する批評の諸傾向とその特徴、
      代表的批評家等について   (どちらか選択)
1996.1 (1)哲学批評および実存主義の批評について
    (2)アポリネールと新精神について
1996.3 (1)ヌーボーロマン
    (2)アンドレ・アントワーヌと自由演劇について
1996.6(1)20世紀の小説における「ロマネスク」崩壊について
 (2)19世紀の文芸批評と20世紀の文芸批評の比較
1996.11(1)アンガジュマンの小説について論ぜよ。
(2)自然主義演劇について論ぜよ。
1997.1 (1)カトリック作家について
    (2)創造批評について
1997.3 (1)大河小説について
    (2)文芸批評における新旧論争
1997.6 (1)20世紀の小説、感情分析小説
    (2)アポリネールの詩の新しさについて
1997.9 (1)象徴主義演劇(具体的) (2)20世紀のフランス小説に果たしたジッドの役割
【 ロシア文学】
1994.3 チェーホフの「桜の園」を」論述せよ。
1994.6 ドストエフスキーの作品に登場した人物について
1994.9 トゥルゲーネフにおける「余計者」について
1994.11 トルストイの自伝三部作について
1995.1 キーエフ文学について
1995.3 エカテリーナ・世におけるロシヤ文学について
1995.6 ロシアのフォークロアについて
1995.9 プーシキンの散文について
1995.11 19世紀のロシアリアリズム文学について
1996.1 レールモントフの作品について
1996.3 トルストイのアンナカレーニナ以降の文学的転機について
1996.6 デカブリスト文学について
1996.11 ロシア文学における「西欧派」と「スラヴ派」について述べよ。
1997.3 オストローフスキイの作品について
1997.6 ロシヤ文学における「余計者」についてのべよ
1997.9 チェルネイ、シェフスキーの文字活動について
ラテン文学
1994.6 (1)「征服されたギリシャが粗暴な征服者(ローマ)をとらえた」は
      どういうことか
    (2)次の作品について知るところを記せ
    「我と我が身を責める男」「カティリーナ大○○」「ものの本質について」
1995.1 (1)帝政時代の風刺詩人3人をあげてそれぞれの特徴をのべよ
    (2)用語説明 a)パルサーリア b)プーニカ c)博物誌 d)弁論術教程
1995.9 (1)キケローの文筆活動について作品名をあげて説明
    (2)ネポース リウィウス ルーカーヌス
1996.1 次の作家について知っていることを述べよ
    カサエル 大プリーニウス スウェートーニウス
1996.11  次の作品について作者をあげて説明せよ。
     (1)恋愛論 (2)パルサーリア (3)博物誌
1997.6 (1)キケローについて具体的な作品群をあげて説明せよ
    (2)「ガレリア戦記」について
【 西洋哲学史】
1994.3 (1)デカルトの「機会原因論」はどういう考えによって作られたものか
    (2)「存在するということは知覚する」ということを説明せよ
1994.6 (1)コペルニクス、ケプラー、ガリレオの三人に共通な思想とそれぞれの業績
    (2)カントの「先天的」あるいは「先験的」は何を強調して意図されているか
1994.9 デカルト、ロックの観念とルソーの自由について
1994.11 スピノーザの自然、デカルトの懐疑についてのべよ
1995.1 (1)ライプニッツの「予定調和説」について
    (2)ホッブスの「社会契約論」の特徴をルソーのそれと比較せよ
1995.3 (1)デカルトのcogitoにおける近代哲学の一特徴
    (2)ヒュームにおける模倣の法則について
1995.6 (1)宗教改革の哲学的意義について
    (2)ベーコンの帰納法について
1995.9 (1)物そのものを想定する理由は何か、いずれかの哲学者を例にあげて説明
        (2)ロックの第一性質と第二性質の区別
1995.11 (1)合理論と経験論の共通性と相違について
    (2)ホッブスの社会哲学の個人主義的側面について
1996.1  (1)カントの理性と「悟性」の説明 (2)ロッツ (3)デカルト
    (2)デカルトが近代哲学の祖と呼ばれる理由
1996.3 (1)実体とは何か、特定の哲学者をあげて説明
    (2)ライプニッツの充足理由律について
1996.6 (1)クザーノスあるいはブルノーの無限について
    (2)ルソーにおける自然と社会について
1996.9 (1)ヒュームの因果関係について
    (2)それが自然科学に与えた影響について
1996.11 (1)スピノサにおける「善」と「悪」について述べなさい。
     (2)カントにおける「時間」と「空間」について述べなさい。
1997.1 (1)パーソンズのAGIL理論の社会体系を大学という組織体系に例をあげて
     説明しなさい。
1997.3 (1)バークリーの物そのものについて
    (2)カントの物そのものについて
    (3)両者を比較せよ
1997.6 ルネサンス以降の西洋近代哲学の歩みをカントにいたるまで概観し、
    そこで何が問題とされていたのか述べなさい。
【社会心理学】
1994.3(1)ル・ボンの群衆概念について説明せよ
(2)マクドゥガルの本能論的社会心理学について説明せよ
1994.6(1)前回の(1)と同じ
(2)フロイド・オルボートの社会心理学について
1994.9(1)クーリーの人間性についての考え方についてのべよ
 (2)民族心理学とは何か
1994.11ベーコンの「イドラ論」
1995.1タルドの公衆概念を説明せよ。
1995.3 (1)ロッスの暗示について
    (2)タールドの模倣について
1995.6 (1)CHクーリーの人間性について
    (2)デュルケイムの集合心理学について
1995.9 (1)マクドウガルの本能論的社会心理学について
     (2)ル・ボンの群衆概念
1995.11(1)タールドの模倣の法則について。
(2)人権形成論的社会心理学
1996.1(1)オルポートの社会心理学についての考え方
    (2)ロッスの暗示についての見解
1996.3(1)民族心理学 (2)タールドの公衆の概念
1996.6 (1)シゲーレとル・ボンの群集心理学研究について
    (2)ジェームズ自我論について
1996.9 (1)タールドの模倣について
    (2)実験的社会心理学の勃興について
1996.11 (1)オルボートの社会心理学の考え方について
    (2)デュルケムの集合表象について
1997.1 (1)タールドの公衆概念について
    (2)トゥロッターの群居本能論について
1997.3 (1)ロッスの暗示について見解を説明せよ
    (2)クーリーの集会心理学の方法を論ぜよ
1997.6 (1)クーリーの社会心理学の方法についてのべよ
    (2)?ロッドの理論について説明せよ
1997.9 (1)ジェームスの自然論について
    (2)タールドの公衆概念について
1997.11  1 実験的社会心理学の勃興について
         2 ロッスの暗示についての見解について
         3 テキストp101 D 1~5まで
【日本史特殊】
1994.3 キリスト教会の文化的活動について
1994.6 エド幕府のキリシタン政策についてのべよ
1994.9 豊臣政権のキリシタン政策について
1995.1 鎖国について
1995.3 キリシタン教会の経済活動について
1995.6 キリシタンの宣教は成功か否か論ぜよ
1995.9 宣教師ヴァリニャーノのキリシタン布教における足跡を具体的に
1995.11 キリシタン宣教師の文化的活動について。
1996.1 キリシタン布教における長崎のもつ意義について述べよ。
1996.6 キリシタン教会の布教の適応について論述せよ
1997.1 鎖国について論ぜよ
1997.3 豊臣政権の対キリシタン政策について
1997.6 豊臣秀吉の対キリシタン政策について
1997.9 江戸幕府のキリシタン政策について
【教育社会学】
1994.3 社会学の立場から教育論と従来の教育学とを比較して論じよ
1994.6 戦前、戦中の教育制度と戦後の教育制度をテキストにそってのべよ
1994.9 社会学から教育へのアプローチの特徴についてのべよ
1995.1 パーソンズの社会化論とハーヴィガストの発展理論について
1995.3 テキストの中で興味を抱いた点を記述
1995.6 社会学において「社会化」「発達課題」について述べよ
1995.9 青年期の諸問題の一つとしてのモラトリアムについて
1995.11 デュルケームとルソーの教育論について論ぜよ。
1996.1 戦前、戦中、戦後の日本の教育について論じよ。
1996.3 教育におけるSEIN(存在)とSOLLEN(当為)について論ぜよ
1997.1 (1)プロセス学習について述べよ
    (2)狭義の教育と広義の教育について
    (3)刷り込み(インプリンティング)について
    (4)ステップ学習にういて
1997.3 テキスト第4章3「問われる学校の機能」に関して
    「順機能」と「逆機能」について考察しなさい
1997.9 順機能と逆機能について
【英語音声学】
1994.11 (1)発音記号とstressの三○○
     (2)Tuneの特質と用法、文のstressについて
     (3)○音の位置と方法による分類
1997.3 (1)円母音について
    (2)摩擦音を二つ挙げて説明しなさい。
    (3)音声表記はなぜ必要か。
    (4)相対的音響について
1997.6 (1)英語の音声学の研究に通常のスペリングが不適切な理由について
    (2)唇歯音について
    (3)二重母音について
    (4)過去の  edの発音について

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